2015年3月9日に、クラウドファンディングサービス「Makuake」にて開始された、「片渕須直監督による『この世界の片隅に』のアニメ映画化を応援」プロジェクト。なんと、そのわずか8日後、2015年3月18日に早くも目標金額の2000万円を突破!
そして、5月29日までの82日間で、総額3622万円を調達しました。映画の公開は2016年秋とのこと。今から期待が高まります。
昭和19年(1944)、広島・呉へお嫁にやってきた18歳のすず。
戦争の色が濃くなる時代、あらゆるものが欠乏していくなかでも、すずは日々の食卓を作り出すために工夫する。 だが戦争は進み、軍都・呉は何度もの空襲に襲われ、すずが大切にしている身近なものも無情に奪われてゆく。
それでもなおすずは健気に明るく一日一日を築き続ける。そして、昭和20年の夏がやってきた――。
太平洋戦争前後の呉を舞台に、主人公・すずを取り巻くささやかな毎日を丹念に描いた本作。劇場アニメ化に向けて動き出してから4年、こうの史代先生が心血を注いだ傑作がついに劇場アニメ化決定! これを受け、原作者・こうの史代先生にお話しをうかがった。
アニメ化クラウドファンディング、開始から1週間の超スピードで2000万円達成!!
――こうの先生の代表作『この世界の片隅に』のアニメ化に向けて準備が始まって4年。今年の3月9日より、広く一般に向けてのクラウドファンディング[注釈1]が始まりました。反響は大きく開始1時間半で200万円を超え、サイバーエージェント[注2]のクラウドファンディング史上最速ともいわれています。現在(2015年4月6日時点)は2104人の支援者、2400万円超の支援金が集まっています。まずはこの反響の大きさをどのように感じていらっしゃいますか。
こうの とてもありがたいです。我々は戦争を知っている世代と交流できる最後の世代なんです。そういう体験を共有したいというみなさんの気持ちがたくさん集まってくれて、それが数字としてあらわれているのがとてもありがたいですね。
――クラウドファンディングサイト「Makuake」にあるコメントページを見ると、こうの先生の原作ファン、劇場アニメ版の監督を務める片渕須直監督[注3]ファン、作品の舞台である広島の方々からのコメントが多いように見受けられます。
こうの 私のマンガを片渕監督のファンの方が支えて下さって、同時に広島に思い入れのある方が作品を支えて下さっている。広島のマンガとして受け止めていただけてるのも、とてもうれしいです。
戦争を生き延びた人々に敬意と感謝をあらわしたい
――『この世界の片隅に』は、何年何月という単位でのストーリー展開がなされていますが、これはとても珍しい手法ですよね?
こうの そうですね、「漫画アクション」(双葉社)で連載枠をもらえていたので、それぞれの季節に、戦災のなかで日常がどういう感じで続いていくのかを描きたいという気持ちがありました。あまり長いとピントがぼけるので、最初から2年と尺を決めて始めました。
――執筆時の手応えや反応をどのようなものでしたか?
こうの じつは掲載を始めたタイミングがよくって。ちょうど昭和と平成を入れ替えた数字で始めることができたんです。「昭和18年の暮れ」の話が、「平成18年の暮れ」に掲載という。掲載号が発行された月と一緒なんです。
――リアルタイムで読んでたのにまったく気づかなかったです!!
こうの 最初の短編3本(「冬の記憶」「大潮の頃」「波のうさぎ」)を描いた時に気がついて、ここで始めなくてはと。20年8月は出来事が多すぎて1話分増やしましたが、それでも後半のあたりがトントン拍子すぎるという批評が少しあったのかな。でも当時はとてもあわただしかったと思うんですよね。
――連載時に読んでいる読者の方は、当時の時間の流れを体感できてたんですね。
こうの すずのお父さんが職場で空襲にあって、1ヵ月行方不明なんですけど、そういういうところもヤキモキしながら読んでくれた読者の方がいるかもしれないですね。
――読者はこのあとにくる8月6日の悲劇を知っているわけですから、ドキドキして読んでました。でも、この作品はそこで終わらなかったですね。
こうの 編集の方は、すずは原爆で死ぬと思ったみたいですね。私としては生きのびて「やった!」という気持ちがあったんですけど。東日本大震災の年(2011)に、避難所でこのマンガを読んだ方が「救われた」と仰ってくださって。その時に、描けてよかった、がんばった甲斐があったと思いました。
――すずさんが「8月」に広島へ行きそうになる時、何日に行くのかわからなかったから不安で不安で……。
こうの たまたま江波(えば)[注4]に取材に行ったら、その日はちょうどお祭りだったというのがわかったんです。急遽、すずさんの広島行きを入れたところドキドキする展開になりましたね。
――そもそも、この作品はどういったきっかけで執筆されることになったのですか?
こうの 前作『夕凪の街 桜の国』[注5]は編集さんに勧められて描いたんです。するといろいろな反響があって、広島県民以外の方が広島や原爆に興味を持って下さったんですね。でも私はほかの地域の戦災について知ろうとしたことはほとんどなかったんです。読者に勇気をいただいて、原爆でない別の戦災、ふるさとでない場所の戦災を描きたいと思い呉を舞台に描きました。
――なぜ呉を舞台に選ばれたのですか?
こうの 東京に住んでいるので東京大空襲でもよかったんですが、方言の問題もあったので呉を選びました。祖母と母が生まれ育った街ですし、私自身、呉が大好きだったので。取材と称して何度も呉に遊びにいけるな、と(笑)。戦艦「大和」のふるさとですしね。
――もう一度戦争を描きたいというモチベーションはどこから?
こうの 『夕凪の街~』の時には、戦後を描いたマンガなのに「戦争マンガ」といわれて不思議だったのです。戦争中の暮らしについては、もっとよく調べてみたいという思いがありました。
――『この世界』では戦時中の生活が丁寧に描かれていますね。
こうの そうかもしれないですね。当時の女性の生活を知りたかったんです。戦争もので描かれるような女性と、戦争を体験した私の祖母たちとはちょっとイメージが違うんですね。体験ものは、女学生さんとかある程度時間があり、ものを書く習慣のある人が書いていたんですね。普通の主婦は忙しくて書く時間ありませんから。だからこそそんな人たちを描いてみたかったんです
- 【注1】クラウドファンディング 企画実現に向け、不特定多数の個人から賛同を得て必要な資金を集めること。クラウド(群衆)+ファンディング(資金調達)を合わせた造語。
- 【注2】サイバーエージェント 『この世界の片隅に』の制作支援メンバーを募集しているクラウドファンディングサイト「Makuake」を運営している会社。正式名称は株式会社サイバーエージェント・クラウドファンディング。
- 【注3】片渕須直監督 アニメーション監督、脚本家。1989年、『魔女の宅急便』で演出補を務めた。1996年にTVシリーズ『名犬ラッシー』で初監督を務めたのち、STUDIO 4℃の設立に参画、代表作『アリーテ姫』の監督を務めた。2009年に公開された『マイマイ新子と千年の魔法』は、公開当初こそ興行が芳しくなかったが、有志による署名や口コミで広がり、1年以上に及ぶロングラン上映を実現させ、オタワ国際アニメーション映画祭長編部門に入選した。アニメ監督として活躍するほか、航空史の研究家として執筆も行っている。
- 【注4】江波 広島市中区にある地区。
- 【注5】『夕凪の街 桜の国』 双葉社から発刊されているこうの先生のマンガで、原爆投下後の広島市を描く。「夕凪の街」と「桜の国」第一部、第二部の3つのストーリーを通して、原爆被害に苦しみながらもたくましく生きる家族3世代の姿が描かれている。2004年に第8回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を、2005年に第9回手塚治虫文化賞新生賞を受賞したほか、海外でも高い評価を得ている。2007年には田中麗奈主演で映画化もなされた。