『キルミーベイベー』第7巻
カヅホ 芳文社 \819+税
(2015年4月27日発売)
約6年にわたる長期連載4コママンガ。
よく誤解されているようだが、作品のおもしろさと作品を視聴する際の体感時間の長短のあいだに相関関係はない。
「あっという間に終わった」と感じても何も残らず、「まだ終わらないのか」と思いつつも心打たれることは多くある。
実際、たとえば日常系アニメにおいては「1本終わったと思ったらまだAパートだった」という反応がよく見られ、なかでも2012年に放映されカルトな人気を集めた『キルミーベイベー』のアニメ版はこと、その種のネタがよく交わされていた。
熱烈なファンであった友人が、「『キルミー』が放映されているあいだの30分は、前回の放映からの6日と23時間30分よりも長く感じる」と語っていたことは、『キルミー』の濃密さを物語る評価としていまでも強く印象に残っている。
『キルミー』がそのように言われがちであることは、『はるみねーしょん』に比するその極端なまでに先鋭的なスタイルのなかに求めることができるだろう。
普通の高校に通う折部やすなが、クラスメイトのロシア系とおぼしき殺し屋・ソーニャに子どもっぽいちょっかいを出し、反撃を受ける。たまに忍者の呉織あぎりも絡む。終わり。
もはや漫才ギャグというよりは、倒錯的な恋愛劇のようにすら見える、2人の関係性のみで満たされた世界(現に、最新第7巻を見ても、学内のシーンが多いにもかかわらずモブとしてすら、ほかの生徒はいっさい描かれず、メイン2人+ひとり以外ではせいぜい、描きおろしカラーのボツ子か、あるいは刺客とオウムと霊的存在が登場するエピソードがあるくらいだ)。
『キルミー』の前にはもはや、ファンの愛情すらも倒錯的にならざるをえない。
先にあげたように、『キルミー』を激賞する言葉は一見ディスのような形式を取るだろうし、(チャーリー・ブラウンのAAが語る)「キルミーは死んだ」という呪術的コピペが生まれもすれば、パッケージ第1巻の初動売上が686枚(オリコン調べ)と低調すぎる成績に終わっても、アニメ公式サイトが「アイコン686枚プレゼント」という自虐的キャンペーンを行う。
そのキャンペーン自体、アニメオフィシャルtwitterのフォロワー数10,000人突破を記念してのものだったが、放映終了時点(12年3月末)で7,000強だったものがその後も加速度的に増えつづけ、13年1月に10,000を超えるのみならず、15年5月末現在では27,000強にまで不気味に増殖している。
いま、このファンの特異な「きもち」の「ひみつ」を知りたいと思うなら、まずは原作に触れるべきだ。
最新第7巻からでも構わない。もし意味のわからないところがあったとしても、それは第1巻から読んだところで解消されはしない(せいぜい違いとして、第7巻最新話だけ背景の植物の処理が変わっていることを発見できるくらいだ)。
とにかく、その濃密な愛の空間を体感してみること。
「ナーミン?」
<文・高瀬司>
批評ZINE「アニメルカ」「マンガルカ」主宰。ほかアニメ・マンガ論を「ユリイカ」などに寄稿。インタビュー企画では「Drawing with Wacom」などを担当。
twitter:@ill_critiqeu