山田先生の作家的ルーツ
――『あれよ星屑』は「このマンガがすごい! 2015」オトコ編で5位にランクインしました。読者としても“いきなり現れた”印象が強いようで、山田先生の作家的な出自にも興味があるようです。これまでどういったものを読んできて、どんな作品に影響を受けてきたのでしょうか?
山田 僕は昭和47年生まれの42歳なんですけど、いわゆる「大友克洋[注1]ショック」を直撃した世代です。
――『童夢』や『AKIRA』。
山田 それから浦沢直樹[注2]さん。『パイナップルARMY』がすごく好きだった。
――どういった点が?
山田 70年代的なハンサムガイが主人公じゃない点が、新しかったですね。
――青年誌のマンガなんですね。
山田 少年マンガには、あんまりお世話にならなかったんですよ。小さいころは、マンガを雑誌で読まず、コミックスをジャケ買いするタイプだったんです。子どもの頃はマンガに使えるお金って、限られるじゃないですか。
――たしかに。
山田 そういう買い方をしていると、巻数の多いものは避けて、短編が多くなるんですよ。そうやって短編集を買っているうちに、「ガロ」[注3]系の作家に行きついたんです。花輪和一さんが大好きで。
――『一億人の昭和史』と「ガロ」……って、同級生とは話しがあわなかったんじゃないですか?
山田 あー……、そうですねぇ、あわなかった……ですねぇ。
――そのころの「ガロ」は、どのような方が描いていました?
山田 近藤ようこ[注4]さんとか内田春菊[注5]さんとか……。90年代当時の「ガロ」は、60〜70年代の作家の再録をやっていたんですよ。それで後追いで楠勝平や辰巳ヨシヒロを読めたんです。先達の作品を読んでいると、こういう話を描くにはこういう絵柄がハマるんだ、というのがわかるようになってくるんですね。芸術系の大学だったので、「ガロ」は大学内の書店でも売っていて手に取りやすかったんです。だから、大友・浦沢ショックを受けた人間が、「ガロ」系を読んで、その中間を取ったのが僕の絵柄……という見立てでどうでしょう。
――デビュー自体は早いんですよね?
山田 大学生の頃には、いちおう原稿料をいただけるようになりました。最初はゲイ雑誌の「さぶ」ではじまり、そこからずっとエロ本をメインにしてきました。だから、あんまりストーリーものを描いてはこなかったんです。
――じゃあ戦争関係の資料とか『一億人の昭和史』は、まったくの趣味で集めていたんですか?
山田 そうです。ただ、ゲイ雑誌に載るマンガって、70年代の三流エロ劇画雑誌の時や映画の日活ロマンポルノ[注6]と同じように、エロシーンさえ入っていれば何を描いても許される感じで。なので、「ガロ」っぽい要素をマンガのなかにちょっとずつ入れていったんです。編集さんもノーチェックで、けっこう好き放題描かせてもらいました。
――90年代になると、萌えマンガ的なタッチが席巻してくるので、通常のエロマンガ誌よりも、「漫画ローレンス」[注7]やゲイ雑誌のほうが好きなことができたのかもしれませんね。
山田 美少女エロは、すごく絵が細かいじゃないですか。流麗な線で直毛を描いて、さらに二重にトーンを貼ったりする。パンティのフリルにしても、線一本へのこだわり方がすごい。根性の入れ方が全然違うから、そこで競っても、絶対に勝てない。
――そこへいくとゲイ雑誌に載るようなマンガは、先ほどおっしゃっていましたが、汚く描いてもいい、ということですね?
山田 汚せば汚すほど、ちょうどいい感じになります。だから、今は「コミックビーム」で描かせてもらっていますけど、ひさしぶりに自分の昔の作品を見ると、あまりの濃さにクラクラしますね(笑)
――西原理恵子さんの『できるかなV3』[注8]に、山田先生のイラストが掲載されていますよね。あと、文庫版のあとがきマンガも描いてらっしゃる。
山田 わ、懐かしい!
――これはどういったご縁で?
山田 西原さんと亡くなった鴨志田[注9]さんが「さぶ」でコラムのページをやっていて、その時にお会いしたのが縁です。
―― 文庫版のあとがきマンガが2008年ですから、もう7年前なんですね。
山田 本文で使ってもらったイラストはもっと前ですよ。イラストに日付入れてますから……1999年! うわー!!(笑)
――ご自分の作品をあらためて見ると、どうですか?
山田 新鮮ですね。ああ、がんばって描いてるなぁ、みたいな。
――あんまり(時代が)近すぎると読み返せない、ってよく聞くんですけど、そのへんはどうですか?
山田 ありますけど、僕はけっこう昔の自分の絵が他人事のように見えるんですよ。「ヘタクソだなー」と思うと同時に、「ヘタクソでいいなぁ」と思えたりする。
――それは自分の絵を客観視できているからなのかもしれませんね。
山田 どうでしょうかねぇ……。
- 注1 大友克洋 双葉社「漫画アクション」でデビュー。1979年に短編集『ショートピース』(奇想天外社)を刊行し、「ニューウェーブ」系作家と呼ばれる。1980年から『童夢』を双葉社「アクションデラックス」で連載開始、1982年から講談社「週刊ヤングマガジン」で『AKIRA』を連載開始。独特な作風で、当時とその後のマンガ界に多大な影響を与えたとされる。
- 注2 浦沢直樹 『パイナップルARMY』『MASTERキートン』『YAWARA!』『MONSTER』『20世紀少年』など数多くのヒット作を生み出した、現代を代表する漫画家のひとり。初めての連載作品『パイナップルARMY』(原作:工藤かずや)は、小学館「ビッグコミックオリジナル」で1985年から連載開始。
- 注3 「ガロ」 青林堂が発行していた(1964〜2002年)マンガ雑誌。独自性、作家性の強い作品を掲載したことで有名。創刊当初は、白土三平『カムイ伝』の掲載を主目的としていた。そのあたりの事情は、創刊編集長・長井勝一(故人)の著書『「ガロ」編集長』(ちくま文庫)に詳しい。水木しげる、つげ義春、永島慎二、根本敬など、数多くの作家を輩出した。90年代になると、『ねこぢるうどん』(作:山野一、画:ねこぢる)や『南くんの恋人』(内田春菊)などのヒット作が出て、また旧作の掘り起こし企画などで、サブカルチャー情報をフィーチャーし、「サブカルのバイブル」的な存在となる。
- 注4 近藤ようこ 高校在学中、同級生だった高橋留美子とマンガ研究会を設立したのは有名な逸話。大学在学中に「ガロ」に投稿した作品でデビューし、青林工藝舎からの出版点数も多いことからガロ系作家と目されるが、「ガロ」本誌での掲載作品数は多くない。『五色の船』(原作:津原泰水)は、『このマンガがすごい! 2015』オトコ編第6位にランクイン。また第18回文化庁メディア芸術祭のマンガ部門の大賞を受賞。
- 注5 内田春菊 漫画家、小説家。「ガロ」で掲載されたマンガ『南くんの恋人』が大ヒット。女性漫画家として、岡崎京子や桜沢エリカらとともにサブカル界隈で絶大な支持を集めた。また小説『ファザーファッカー』もベストセラーとなり、直木賞候補にもなる。女優として数多くの映画やドラマにも出演している。
- 注6 日活ロマンポルノ かつて日活(現在のにっかつ)で作られた成人映画。低予算や収録期間の日数が短かったことでも有名。量産の必要があったため、若い監督を数多く起用。映画1本あたりの上映時間やエロシーンの回数などの基本ルール以外は、あまり制約がなかったことから、結果的に実験的であったり、作家性を打ち出した作品も生まれた。そのため日活ロマンポルノでキャリアをスタートさせたり、頭角を現した映画監督は多い。代表例としては石井隆、崔洋一、周防正行、相米慎二、滝田洋次郎など。
- 注7 「漫画ローレンス」 富士美出版が発行する成人劇画雑誌。書店の成人雑誌コーナーで、やけにリアルな劇画タッチの女性が表紙のマンガ雑誌、といえば思い浮かぶはず。
- 注8 『できるかなV3』 西原理恵子によるルポマンガ『できるかな』シリーズの第3作目。本文内で、山田参助先生のイラストが掲載されている。また、角川文庫版には、山田先生のあとがきマンガが収録されている。
- 注9 鴨志田さん 鴨志田穣。フリージャーナリスト、エッセイスト。西原理恵子の前夫。西原作品にもたびたび登場する。故人。