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山田参助『あれよ星屑』インタビュー 「突撃一番」でタイムスリップ感覚

2015/07/13


戦中・戦後の流行歌が聞こえてくるようなマンガ

――作中では「満鉄小唄」とか「蒙疆(もうきょう)節」とか、歌が印象的に出てきます。

作中で、川島がよく口ずさんでいる「蒙疆節」。「死」を連想する歌詞が、川島の心の闇を感じさせる。

作中で、川島がよく口ずさんでいる「蒙疆節」。「死」を連想する歌詞が、川島の心の闇を感じさせる。


山田 僕、古い歌が好きなんですよ。このマンガを描くときにひとつ立てたコンセプトが『「イン・ザ・ムード」[注11]と「リンゴの唄」[注12]が聞こえてこない「焼け跡」もの』というものでした。たいていの「焼け跡」もののドラマや映画ですと、とりあえず「リンゴの唄」がかかるじゃないですか。ああいうベタはイヤだな、と。象徴としての「イン・ザ・ムード」や「リンゴの唄」はかからなくてもいいよね、と思っていました。もっとほかの当時の流行歌いっぱい聴いてるもん。

――たしかに「戦後=リンゴの唄」のイメージが強いですね。

山田 黒澤明の『野良犬』を観ると、闇市を歩くシーンでずっと音楽がかかっているんですけど、それが戦前の流行歌や大陸歌謡のインストなんです。『野良犬』の公開は1949年。思っている以上に当時のリアルタイムなネタを扱ったそうとうドキュメントな作品です。そこに「イン・ザ・ムード」や「リンゴの唄」は流れていないんですよ。

――いちばん好きな昭和歌謡はなんですか?

山田 昭和というくくりは大きすぎて決められないよ! 『あれよ星屑』の時代だったら、そうだな……たとえば、だれも知らない歌だと思うけど、霧島昇の「花ある人生」なんか好きですね。これは古賀政男が作曲した曲です。戦前の曲なんですけど、エレキのスティールギターがフィーチャーされていて、ハワイアンの要素も入っているんです。

――演歌が流行る前の昭和歌謡は、世界中の音楽の要素が入っているそうですね。

山田 おっしゃるとおりです。戦前とハワイアンというのも、じつは重要な要素なんです。ハワイアンは戦前に若い人のあいだで大流行したんです。それこそ、戦後におけるロックのようなノリでした。そのファッションリーダーが灰田勝彦です。彼はハワイ生まれの帰国子女で、ハワイアンバンドのボーカリスト。

――アイドル的な存在?

山田 そうです。その彼が戦争中は、軍歌を歌わされる。つまりハワイアンというのは、戦中の人々にとって、青春の象徴であり、そして学徒出陣のアイコンでもあるんですよ。

――何か戦後になって、文化とか風俗が一変したように錯覚しちゃうんですけど、戦前から戦中、戦後と地続きのものもあるんですよね?

山田 戦前ジャズ研究家の毛利眞人氏の受け売りですが、ジャズは戦後に進駐軍によってもたらされたものというわけではなない、というような話ですね。

――闇市で、みんなで蓄音機を囲んでいるシーンがありますね。

いつだって音楽は人の心を明るくするものなのだ!

いつだって音楽は人の心を明るくするものなのだ!


山田 高円寺に「円盤」というライブハウスがあるんですけど、そこの店主はレコード文化について研究している方なんですよ。終戦直後は娯楽がなくて、街角で蓄音機をかけるだけで人だかりができた、という話を教えてもらったんです。

――もう少しあとの時代の、街頭テレビみたいなノリで?

山田 ああ、同じですね。それでマンガのなかに、そのシーンを使わせていただきました。

――終戦直後の「焼け跡」では、どんな曲がかかっていたんでしょうね?

山田 それを想像するのが、また楽しいんですよ。今、SPレコードを集めたり聴いたりしている人は、つまり戦火を逃れたレコードを聴いているってことじゃないですか。だから終戦直後だったら、それこそいろいろな曲がかかったんじゃないかなぁ。クラシックだったかもしれないし、戦前の流行歌かもしれない。戦時中にはおおっぴらにかけられなかった曲を、ノリノリでかけていたかもしれない。焼け跡DJ。


  • 注11 「イン・ザ・ムード」 ジョー・ガーランドが作曲したジャズ。グレン・ミラー楽団の演奏で大ヒットした。映画『瀬戸内少年野球団』の作中で使用され、よけいに終戦と結びつけるイメージが強い。
  • 注12 「リンゴの唄」 作詞:サトウハチロー、作曲:万丈目正。並木路子と霧島昇の歌唱により、終戦後に大ヒットした。「戦後初の流行歌」といわれている。

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