日々発売される膨大なマンガのなかから、「このマンガがすごい!WEB」が厳選したマンガ作品の新刊レビュー!
今回紹介するのは、『アンカル』
『アンカル 新装版』
アレハンドロ・ホドロフスキー(作) メビウス(画)
古川晴子(訳) パイインターナショナル ¥3,600+税
(2015年12月18日発売)
イマジネーションの錬金術士・ホドロフスキーと、イメージの魔術士・メビウス。
2人が創造した聖なる宇宙空間は、かつて「デューン」と呼ばれ、のちに「アンカル」と名づけられた。
超大作のSF映画となるはずだった『デューン』は、最終的にマンガの『アンカル』として錬成されることになったのだが、ホドロフスキーとメビウスの手になる『デューン』のストーリー・ボードだけは残された(この経緯については、2014年に日本公開された『ホドロフスキーのDUNE』に詳しい)。
ホドロフスキーは、メビウスの西部劇マンガ『ブルーベリー』(ジャン・ジロー名義)を目にしたとき、「ここに私のカメラがいる!」と思ったという。
実際、『デューン』のストーリー・ボードを製作する作業は、おそるべき速さで空間を創造していくメビウスの背後で、とり憑かれたようにホドロフスキーが指示を出していく、真の意味での共同製作だった。
今回の『アンカル』新装版に付属の解説にあるホドロフスキー自身の言葉を引用すれば、「つまり、私たちは映画を撮影した」のだった。
もちろん、『デューン』と『アンカル』は同じ作品ではない。しかし、いくつものエピソードやカットが転用されているだけでなく、根本的な思想を共有しているという意味で、同じ宇宙観を共有している。
1970年代中頃に『デューン』の計画が頓挫したのち、『アンカル』は『ジョン・ディフール』というタイトルで、1980年に発表された。
ジョン・ディフールは、『アンカル』の主人公の名前である。その名「フール」がしめすとおり、「愚か」でさえない私立探偵だ。
ある日、謎の「アンカル」を受けとってしまったことで、さまざまな勢力から追われるようになり、宇宙をめぐる争いに巻きこまれていく……。
1980年といえば、すでに『アルザック』(1975年)、『密閉されたガレージ』(1976年)といった、70年代の代表作が発表され、メビウスはそのスタイルと名声を確立していた。
『アンカル』(1980年)や『エデナの世界』(1983年)は、次の80年代における代表作として挙げられるだろう。
それにしても、『アンカル』のメビウスの絵柄は安定しない。
完成までの時間(最終巻は1988年に刊行されている)を考えると、それも当然だと思われるかもしれない。だがそうではない。
メビウスにおいては、もはや連載がつづくうちに絵が上達するなどという話でないのだ。
それは、画力が不足していたわけでも、絵柄に迷いがあったからでもない。
同じ絵柄で描けなかったのは、若き魔術士メビウスの魔力が、あまりに強力すぎるがゆえに制御できず、まるであふれるがままに任せざるをえなかったかのようである。
それでもやはり、この『アンカル』のシンプルでクリアなラインからは、80年代特有の軽さのようなものも、全体として感じられる。
全世界の20を超える言語に翻訳された、この聖なる宇宙の一大叙事詩を受け取ると同時に、80年代の最先端を走っていた当時のメビウスの描線も堪能してほしい。
今回出版された新装版は、2010年に小学館集英社プロダクションから出された版と収録されているエピソード自体は同じだが、「『アンカル』の謎」と題された30ページにもおよぶ詳しい解説が加えられた。
『デューン』から『アンカル』へといたる過程や、ホドロフスキーとメビウスの関係、そしてこの作品そのものを知るためには必読のテクストだ。
<文・野田謙介>
マンガ研究者、翻訳者。雑誌「Pen」の特集「世界のコミック大研究。」(阪急コミュニケーションズ、2007年、No.204)の企画・構成を手がける。訳書に、ティエリ・グルンステン『マンガのシステム――コマはなぜ物語になるのか』(青土社、2009年)、エマニュエル・ギベール『アランの戦争――アラン・イングラム・コープの回想録』(国書刊行会、2011年)。