どこにでもいそうな中年女性・たかこの日々をふんばって生きる姿に励まされる『たそがれたかこ』。
入江喜和先生は、デビュー作の『杯気分! 肴姫』以来、魅力的でリアルなキャラクター造詣と独特のタッチが生み出す世界観で多くのファンを魅了し続けている。
そんな入江先生のマンガとの出会いは? デビューまでのいきさつは? 入江ワールドのルーツを探る、インタビュー後編がスタート!
インタビュー前編はコチラ!
寝ても覚めても「厩戸皇子」だった高校時代
――子どもの頃はどんなマンガを読んでいましたか?
入江 まずは『がきデカ』[注1]ですね。山上たつひこ先生[注2]にはやられました。幼稚園の頃、最初に買ったマンガが『がきデカ』『サザエさん』(長谷川町子)、それから弓月光先生の『おでんグツグツ』[注3]です。あの当時「りぼん」がすごくおもしろくて。今の青年誌の要素が全部入ってるといってもいいくらいに、少女マンガ誌なのに大人向けのマンガがけっこうあって。山本優子先生の『美季とアップルパイ』[注4]というマンガもすごく好きでした。
――瞳キラキラの少女マンガタッチかと思うと、すごくえげつない下ネタギャグが出てきたりすぐ裸になったり。
入江 そうそう、ギャグがちょっとドリフっぽくて最高でしたね。弓月先生は子ども心に絵のうまさにもひかれて。『おでんグツグツ』は弓月先生にしてはわりと地味な話で……おでん屋さんの女主人と発明好きの居候君との恋愛ものなんですが、常連客にすごく老けた人がいたりする雰囲気も好きでした。
――今につながる渋好みですね。
入江 キラキラや乙女チックなほうではなかったんですね、昔から。でも、里中満智子先生[注5]や大和和紀先生[注6]のような大先生も大好きでしたよ。今でも、同じ雑誌に大和和紀先生と載ってる、と思うとドキドキします。そして、生涯で一番夢中になったマンガといえば山岸凉子先生の『日出処の天子』[注7]!
――それは何歳頃ですか?
入江 高校生の時です。あとにも先にもあんなに毎号楽しみにしたマンガはないです。最近になって山岸先生にお会いできたんですが、先生が引いてしまうくらい「好きです、好きです」って言いまくってしまいました(笑)。
――当時はどんなふうにハマってたんですか?
入江 もう病的でしたね。厩戸皇子のために生きていたといってもいいくらい。当時、私は不登校で……途中、学校に行くようにはなったんですけど「LaLa」の発売日はすぐに帰っちゃってましたね。一刻も早く読みたいから。雑誌を買って喫茶店に入って、まず1回読んでからさらに3回くらい読んで。で、家に帰ってまた読む。
――翌月の号が出るまでに何度読み返したんでしょうね。
入江 数かぎりなくです。いまだに、セリフが頭に入ってます。
――そこまで夢中になったポイントは?
入江 ひたすら厩戸皇子のキャラクターに萌えてたと思います。マンガが上手な友だちに、私と皇子のマンガを描いてくれと無理難題を吹っかけたり。「ええ? じゃあ厩戸皇子にもてあそばれて捨てられる話とかでもいい?」って言われて「全然それでいいよ〜」って。描いてもらったマンガは大事にしてました。とにかく寝る直前まで皇子のことを考えて、朝起きると皇子のことを考える生活。
――生きる希望ですね。その頃不登校だったというのは……?
入江 あ、これはもう「たかこ」に描いた通りです。人間関係と、ちょっと偏差値の高いところに入ってしまったので勉強についていけなくなったのと。とにかく家で『日出処の天子』を読んでる時間が一番楽しかった。
――それが心のよりどころ、自分の支えになっていたのでしょうか。
入江 そうですね。厩戸皇子は今でも心の支えです。単行本は特別な一等地に並べてます。神棚みたいです。
――ちなみに今、注目してるマンガはありますか?
入江 『ぼくは麻里のなか』(押見修造)[注8]がすごくおもしろいです。雑誌でいうと「アクション」[注9]が今、気に入ってて……『絶望の犯島』(櫻井稔文)[注10]も好きですね。女性誌では、BLがおもしろい! 自分のなかで、最近BLを解禁にしたんです。
何かやりたいけど何をしていいかわからなかったあの頃
――厩戸皇子に夢中だった頃は、まだマンガを描いてなかったんですか?
入江 描いてなかったですね。あの頃マンガがとてもおもしろくて。くらもちふさこ先生[注11]も大好きでした。そこに内田春菊先生[注12]、高野文子先生[注13]みたいな天才が続々現れて、マンガとはこうした天才が描くものなんだろう……とあきらめてました。
――描きたい気持ちはあったんですか?
入江 ちょっと描いてみても1、2ページ描くとヘタすぎて、自分の描きたいイメージに追いつかなくてやめてしまうんです。「じゃあ小説とか……いやそれも無理だろう」と。何かやりたいけどなんだかわからなくて、モテない女の子たちとバンドをやったりして(笑)。
――当時から音楽好きだったんですね。
入江 その頃は洋楽中心に聴いてて。洋楽のビジュアル系が全盛期の頃ですね。ジャパン[注14]とか。
――バンド活動はけっこう続いたんですか?
入江 ちょっとやっただけで「向いてないな」と思って、すぐにやめてしまいました。
投稿一発目で入選デビュー作が連載に!
――マンガはいつ頃から描き始めたんですか?
入江 20歳すぎてからです。
――描くに至ったきっかけが何かあったのでしょうか。
入江 それが、ホントになんにもできなくて、自分がどんどん最悪になっていきまして……アル中になり病気になり。肝臓を壊して入院するまでいって。
――そんなに若い時にですか?
入江 そうです。拒食でほとんど食べないのにお酒ばっかり飲んでたので。これは死ぬなと思って、入院したというかさせられたというか。いつ退院できるかわからないと言われ、「ヤバいなぁ。この先、人生どうなるかわからないな」なんて思っていました。直接的なきっかけは退院後、当時の彼氏に「マンガ描いてみれば?」と言われたことです。「今さら?」と思ったんですけど。「あなたの考えてることはおもしろいから、おもしろいことが描けるんじゃないかと思う」と言ってくれて。
――それは慧眼でしたね。
入江 彼が「こういうのがあるよ」と見つけてくれたのが、小池一夫先生の劇画村塾[注19]だったんです。私は当時不勉強で、小池先生のことも知らなかったんですけど。調べてみると、中村真理子先生[注20]や狩撫麻礼先生[注21]、たなか亜希夫先生[注22]など、憧れの先生方を輩出していたので、興味を持ったんです。
――劇画村塾ではどんなことを教わったのでしょうか。
入江 集まるのは週1回、それがだんだん月1回になっていくんです。毎回出される課題を持っていくんですが、「業界でマンガを描いていくというのはこういうことだ」という姿勢や心得を教わったことが大きいです。これが非常にためになって、今でも役立っていると思います。ここで、一応「優秀だ」と言っていただき……なにしろ人生で初めてほめられたのでうれしかったですよ。「やるじゃん、あたし」という気持ちになれました。
――自信が持てた瞬間ですね。
入江 そこで、投稿することになります。小池先生は小学館でお仕事をされていたので、なんとなく師とは近いところじゃないほうがいいのかなと思って「アフタヌーン四季賞」[注23]に投稿したんです。そしたら、なんと一発で入選して……。この時、王欣太先生[注24]が四季大賞、私が四季賞だったんです。
――一発目で入賞とは、すごいですね。
入江 アシスタント経験もなにもないのに、いきなりデビューしてしまったので知らないことが本当に多くて。なので、デビューしてからダンナ(漫画家の新井英樹先生)にいろいろ習ったことが多いですね。よく「そんなことも知らないの?」とびっくりしていました。
- 注1 『がきデカ』 1974年から1980年にかけ「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)にて連載された山上たつひこのドタバタギャグマンガで、本格的ギャグマンガの草分け的存在。主人公は日本初の少年警察官を自称するこまわり君。死刑!
- 注2 山上たつひこ 漫画家。山上龍彦の名義で小説家としても活動している。代表作にギャグマンガの傑作『がきデカ』やシリアスSFマンガ『光る風』など。
- 注3 『おでんグツグツ』 1972年に「りぼん」(小学館)にて連載された弓月光のドタバタラブコメディ。おでん屋を営む19歳の女の子と、その店に住み込みで働く男の子とのラブストーリー。
- 注4 『美季とアップルパイ』 70年代の「りぼん」を代表する山本優子の代表作。アップルパイが大好物の女の子・美季と恋のお相手・秀樹がくりひろげるドタバタラブコメディ。正統派少女マンガの美しいタッチとハレンチ・お下品なギャグが混在するカオスっぷりで大人気を博した。
- 注5 里中満智子 少女マンガ家。デビューしたのはわずか16歳の時。代表作は『アリエスの乙女たち』『天上の虹』。漫画家以外にも、大阪芸術大学で教鞭をとるなど多方面で活躍中。
- 注6 大和和紀 少女マンガ家。代表作に『はいからさんが通る』『あさきゆめみし』など。
- 注7 『日出処の天子』 1980年から1984年にかけ「LaLa」(白泉社)にて連載された山岸涼子の代表作。聖徳太子として知られる厩戸王子の少年時代から摂政になるまでを描く歴史マンガ。頭脳明晰、眉目秀麗、冷静沈着、しかも超能力アリ、というこれまでにない厩戸王子像は多くの少女を虜にした。
- 注8 『ぼくは麻里のなか』 2012年から「漫画アクション」(双葉社)にて月イチ連載中の押見修造によるマンガ。ひきこもりの青年が、ある日、「コンビニの天使」と呼んでひそかに憧れる女子高生・麻里になってしまった!? というストーリー。
- 注9 「アクション」 双葉社が発行する月2回刊行の青年マンガ雑誌。1967年に「週刊漫画アクション」として創刊された。過去掲載作品に『ルパン三世』(モンキー・パンチ)、『子連れ狼』(小池一夫・小島剛夕)、『009』(石ノ森章太郎)、『クレヨンしんちゃん』(臼井儀人)などがある。
- 注10 『絶望の犯島』 「漫画アクション」(双葉社)にて連載中の桜井稔文によるサバイバルマンガ。正式タイトルは『絶望の犯島-100人のブリーフ男vs1人の改造ギャル-』。性犯罪者100人を集めた無人島にひとりのギャルが投下された! しかし、このギャル、その正体はじつは元女たらしの男!?
- 注11 くらもちふさこ 少女マンガ家。代表作に『天然コケッコー』『いつもポケットにショパン』『おしゃべり階段』など。現在、「Cocohana」(集英社)にて和弓純愛ストーリー『花に染む』を連載中。
- 注12 内田春菊 漫画家、小説家、エッセイスト。女優としても活動。漫画家としての代表作に『南ちゃんの恋人』、小説家としての代表作にベストセラーとなった『ファザーファッカー』など。波乱万丈な半生から生まれるストレートな内容の作品は読者の胸を打つ。
- 注13 高野文子 『るきさん』などで知られる女性漫画家。寡作として有名で、2003年には『黄色い本』で「手塚治虫文化賞マンガ大賞」を受賞するが、これが8年ぶりの単行本だった。最新作の『ドミトリーともきんす』は『このマンガがすごい!2015』オンナ編の第9位にランクインした。
- 注14 ジャパン デヴィッド・シルヴィアンを中心に1974年に結成されたイギリスのニュー・ウェーブバンド。1982年に解散した。
- 注15 デヴィッド・ボウイ イギリスが生んだ伝説的ミュージシャンにして俳優。セクシーなグラムロックスターとして有名だが、さまざまな挑戦と変化を続けたマルチ・ミュージシャン。2004年に心臓病を患い、以降、活動はひかえめに。
- 注16 デュラン・デュラン 1978年に結成されたイギリスのロックバンド。80年代に「ニューロマンティック」という一大ムーブメントの立役者となった。メンバーチェンジはあるものの解散は一度もない。
- 注17 YMO 正式名称「イエロー・マジック・オーケストラ」。1978年に結成。メンバーは細野晴臣(ベース)、坂本龍一(キーボード)、高橋幸宏(ドラム・ボーカル)。シンセサイザーとコンピューターを駆使した斬新な音楽で、80年代初頭のテクノ、ニュー・ウェーブのムーブメントの中心的存在として一世を風靡した。
- 注18 RCサクセション 故・忌野清志郎をリーダーとした伝説的ロックバンド。「King of Rock」の異名をとり、日本におけるロックとライブパフォーマンスに計り知れない影響を与えた。
- 注19 劇画村塾 漫画原作者・小池一夫が1977年に開講した漫画家・原作者養成のための講座。漫画家以外にも、ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズのシナリオライター・堀井雄二など、さまざまなジャンルのクリエイターを輩出した。1988年にいったん中止したが、2006年から再開。現在はweb講座も開設。
- 注20 中村真理子 漫画家。劇画村塾を経て、1980年に『運命のファースト・キッス』で漫画家デビュー。代表作に『クロサワ/炎の映画監督・黒澤明伝』(原作:園村昌弘)、『ギャルボーイ!』など。
- 注21 狩撫麻礼 マンガ原作者。「かりぶ まれい」と読む。『ハード&ルーズ』(作画:かわぐちかいじ)や、松田優作主演で映画化もされた『ア・ホーマンス』(作画:たなか亜希夫)など代表作は多数。別ペンネームも数多く持つ。
- 注22 たなか亜希夫 劇画村塾出身の漫画家。代表作に『軍鶏』『ア・ホーマンス』など。
- 注23 アフタヌーン四季賞 「アフタヌーン」(講談社)が1986年の創刊時から主宰しているマンガ新人賞で、年に4回の募集がある。
- 注24 王欣太 漫画家。「きんぐ ごんた」と読む。1989年にアフタヌーン四季賞冬のコンテストで「A Mess on a Weekend」(GONTA名義)が四季大賞を受賞。『三国志』をベースにした代表作の『蒼天航路』は、これまで悪役のイメージだった曹操を主役とし大ヒットした。
©入江喜和/講談社