初代『逆転裁判』以降、ミステリを題材としたゲームを手がけ続け、本日(7月9日)発売の最新作『大逆転裁判 -成歩堂龍ノ介の冒險-』で、ゲーム本編にシャーロック・ホームズを登場をさせるという念願を叶えた巧 舟氏と、日本シャーロック・ホームズ・クラブ会員でもあり、パスティーシュ[注1]の執筆から、ホームズ関連書籍の翻訳まで手がける、筋金入りのシャーロッキアン[注2]作家・北原尚彦氏のシャーロッキアン対談が実現。
生誕100年をすぎた現代でも愛され続けるホームズの魅力が、今、語りつくされる!
ホームズが登場する19世紀ロンドン
――まずは『大逆転裁判』をプレイされたご感想をお聞かせください。
北原 巧さんがシャーロック・ホームズをお好きで、かつ、とてもお詳しいということがよく伝わってくる内容で、楽しませていただきました。『大逆転裁判』のホームズが、推理をわざと間違えているかのように見せている演出などは、シュロック・ホームズ[注3]の要素を感じましたね。巧さんはシュロック・ホームズがお好きだともうかがっていましたし。ほかにも、ホームズのファンキーな一面から、アニメの『名探偵ホームズ』[注4]を感じたり、ゲームをプレイしていて「ここはビリー・ワイルダーの映画[注5]の要素を取り入れているのでは?」と思うポイントもありました。様々なホームズが見られる、シャーロキアンにとって贅沢な作品だと思います。
巧 ありがとうございます。最初は、版権などの問題から、本物のシャーロック・ホームズをゲームに出せると思っていなかったのですが、企画書を書いたところ、こうして実現することになって……。僕にとっては、小学生の頃に読んだ『ホームズ』がミステリへの入り口だったので、そこから30年を経て、自分の作品に取り入れられたというのは感慨深いです。僕はホームズが登場する19世紀末のロンドンが好きで、ホームズに触発されて登場した当時の推理小説もひと通り読んでいるんです。だから、19世紀末のロンドンは僕からすると、見知らぬ世界のようには感じません。むしろ、「帰ってきた」という気持ちです。
北原 先ほど、ゲームをプレイさせていただいたときに、ロンドンの街に登場する馬車に、石鹸会社の広告が入っているのを見て、細かいところまで作りこんでいらっしゃるなあと感心しました。
巧 当時のロンドンをいかに忠実に再現できるかという点には、とても気を使いました。ゲームの開発チームのスタッフで、様々な当時の資料を見たのですが、独特の雰囲気があっていいですよね。そういえば、お金の単位の描き方にも、頭を悩ませました。ポンドと円で、まず違うし、そのうえ19世紀末と現在では当然、お金の価値はまったく違うので、「フィッシュアンドチップスが食べられる値段」といったように、具体的にモノに置き換えて説明するしか、当時のお金の価値を共有する方法がなくて……。
北原 日本国内ですら、コーヒー一杯の値段にしても、昔と今ではお金の価値がだいぶ変わっているので、比較が難しいですよね。
巧 そうなんです。明治時代って、こんなにビールが高かったんだ、とか、『大逆転裁判』を作るにあたって、お金の価値の変遷を調べていくことで新たな発見があり、楽しかったですね。光文社文庫の『シャーロック・ホームズ全集』は解説が充実しているので、それも参考にしました。
北原 なるほどなるほど。ちなみに、巧さんがホームズに興味を持たれたきっかけは、どの本ですか?
巧 僕がホームズを認識したのは、ホームズが敵として出てくる、ポプラ社の『怪盗ルパン全集』[注6]シリーズの『怪盗対名探偵』[注7]でした(笑)。この作品はたしか、ポプラ社版では子ども向けにホームズがいい人に書きかえられているんですよね?
北原 変えていますね。ほかにも、これは邦訳だとそうされがちなのですが、原作の「エルロック・ショルメ」[注8]という名前を「シャーロック・ホームズ」に変えていたりと、いろいろ手が加えられています。では、巧さんのホームズの原点は、ポプラ社の『怪盗ルパン全集』シリーズなんですね。
巧 たしかに、入口は『怪盗ルパン』シリーズですが、真の原点となっているのはそのあとに読み始めた創元推理文庫の帽子のマークがついた『シャーロック・ホームズ』シリーズです。僕は阿部知二[注9]訳の『シャーロック・ホームズ』至上主義なんです。ただ、当時『シャーロック・ホームズの事件簿』[注10](以下、『事件簿』と略す)は翻訳されていなかったので、読めずにいました。
北原 創元から『事件簿』はしばらく出ませんでしたからね。
巧 今は創元推理文庫から『事件簿』も発売されているのでしょうか?
北原 版権が切れたときに、深町眞理子[注11]さんが翻訳したものが出ましたね。私も、当時創元推理文庫で途中まで『シャーロック・ホームズ』シリーズをそろえていたんですが、最後の1冊『事件簿』が全訳で入っているのが、ハヤカワのポケミス(「ハヤカワ・ポケット・ミステリ」)だけで……。シリーズで本の大きさが揃わないのがすごく嫌でしたね(笑)。
- 注1 パスティーシュ 設定やテーマなどを模倣して作られた、現代でいう“二次創作”作品。ホームズの場合、実在の人物や他の作家のキャラクターと競演・対決する作品のほか、コナン・ドイルの正典中に事件名や概要だけ登場する、いわゆる“語られざる事件”を扱った作品など、複数ある。
- 注2 シャーロッキアン シャーロック・ホームズを愛する人々の総称。「シャーロック・ホームズは実在する」という思考実験などを好む人も多い。
- 注3 シュロック・ホームズ ロバート・L・フィッシュの作品『シュロック・ホームズ』シリーズの主人公。『シュロック・ホームズ』では、探偵シュロック・ホームズと相棒のワトニイ博士が難事件に挑む様子が、本家をカリカチュアライズし茶化して(ただし愛情をもって)描かれる。
- 注4 『名探偵ホームズ』 1984年から1985年に放映された、日・伊合作のテレビアニメ。あの宮崎駿が監督した回もある。キャラクターはすべて擬人化した犬で、殺人事件も起きないなど、明るく楽しいテイストの作品になっている。本作でシャーロック・ホームズに興味を持った者も多い。
- 注5 ビリー・ワイルダーの映画 ビリー・ワイルダーが監督・脚本・製作を務めた1970年の映画『シャーロック・ホームズの冒険』。ミステリ映画のベテランであるワイルダーによるオリジナルストーリーが展開される。自らもホームズを演じたことがあるクリストファー・リーが、マイクロフト・ホームズ役で登場するなど、脇役もかなり豪華。
- 注6 『怪盗ルパン全集』 フランスの小説家モーリス・ルブランの推理小説・冒険小説『アルセーヌ・ルパン』シリーズの作品集。名探偵ホームズ(悪役として登場)との初顔合わせなど、主人公・ルパンの初期の活躍が描かれている。(ただし、あくまで主役はルパン。)
- 注7 『怪盗対名探偵』 モーリス・ルブラン『怪盗ルパン』シリーズの一冊。2つの怪奇な事件をめぐり、怪盗ルパンと名探偵ホームズの白熱の推理合戦が展開する。
- 注8 エルロック・ショルメ 『怪盗ルパン』シリーズに登場するイギリスの名探偵。当初はアーサー・コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』シリーズの主人公、シャーロック・ホームズをそのまま登場させていたが、名前の使用許可を得られず、シャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)のアナグラム、エルロック・ショルメ(Herlock Sholmès)と名前を変更することになった。
- 注9 阿部知二 1900年代に活躍した小説家、英文学者、翻訳家。『白鯨』、『シャーロック・ホームズ』シリーズ、『シートン動物記』、『トム・ソーヤーの冒険』など、多くの名著の翻訳を刊行している。
- 注10 『シャーロック・ホームズの事件簿』 『シャーロック・ホームズ』シリーズの最後に出された短編集。晩年のコナン・ドイルが書いた作品が収録されている。「サセックスの吸血鬼」「這う男」など、怪奇もの、怪事件も多い。
- 注11 深町眞理子 翻訳家。『シャーロック・ホームズ』シリーズ、『ABC殺人事件』、『アンネの日記』など、英米のSF、ミステリを中心に、数多くの翻訳を刊行している。