『プロレス狂想曲』
ニコラ・ド・クレシー(著)原正人(訳)集英社 \1,000+税
(2015年4月17日発売)
1990年代、フランスのマンガ史に重要な転換期が訪れた。
のちにヌーヴェル・バンド・デシネとも呼ばれるこの新たな潮流のなかで、偉大な才能がなん人も登場する。
これは私見だが、そのなかでもニコラ・ド・クレシーとエマニュエル・ギベールは、とりわけ傑出した存在だろう。
ド・クレシーに関しては、『フォリガット』、『天空のビバンドム』、『氷河期:ルーヴル美術館BDプロジェクト』そして『レオン・ラ・カム』と、かなりの作品が日本語に訳されている。さらに、松本大洋とタッグを組んだ、『松本大洋+ニコラ・ド・クレシー』というムック本まで刊行されていて、海外マンガ好きのみならず、日本の漫画家にもすでに熱狂的なファンがいる作家だ。
『プロレス狂想曲』は、このド・クレシーが日本のマンガ雑誌である「ウルトラジャンプ」に、描きおろしの連載を試みた作品。
雑誌掲載時には、彼のファンである日本人漫画家たちが、毎回1ページのイラストと1ページのコメントを寄せていた。コメント記事のほうはネット上で公開されているので、興味のある方はぜひ読んでみてほしい。
寺田克也、大友克洋、松本大洋、浦沢直樹、上杉忠弘、桂正和、真島ヒロ、谷口ジロー。日本の漫画家のなかでもその画力の高さで知られる作家たちが、こぞってド・クレシーの絵を褒めたたえている。
寺田克也は、絶対に影響を受けるから近づきたくない、「良すぎて怖い、それがド・クレシー」だと語り、浦沢直樹は「メビウス以来の衝撃でした」とまで述べた。彼らが賞賛するということは、つまり現在のところ世界で一番のレベルにある絵だと言ってもよい。
絵がすごい。そのことに異論をとなえる人はいないだろう。実際、ときとして言葉が邪魔に思えてくる瞬間すらあるほど。
たとえば、著者本人のブログにもあげられている、浸水した街で立ち往生した主人公が、暗闇のなか車から転げ降りるシーンを見ていただきたい。
フキダシに文字が入っていない未完成原稿ながら、いやだからこそ、コマに分けられた絵を順番に読みつつ全体を同時的に眺める、マンガ的快楽の真髄が、ここには現れている。
けれど、ド・クレシーの作品には、言葉と絵の協働によってもたらされる独特のユーモアもある。
『プロレス狂想曲』なら、たとえば130ページの4コマ目に「そこ!?」というツッコミを入れつつ、じわりとした笑みを抑えることができないだろうし、153ページの4コマ目は「“(キリッ、”じゃないよ!」と笑いながら叫びたくなります(ここは実際に本書を手にとってご確認あれ)。
日本のマンガを読むのとは少し違った、独特の読む姿勢が要求されるのはたしか。それは絵の多義性が言葉によってひとつの意味に回収されず、常に意味がイメージのなかにあふれ続けているからだ。
簡単に言うと“言葉に頼らず絵を読むこと”が要求されているのだ。
しかしながらその体験は、おそらく今後あなたの日本マンガを読む経験を、きっとより豊かなものにしてくれることだろう。
<文・野田謙介>
マンガ研究者、翻訳者。雑誌「Pen」の特集「世界のコミック大研究。」(阪急コミュニケーションズ、2007年、No.204)の企画・構成を手がける。訳書に、ティエリ・グルンステン『マンガのシステム――コマはなぜ物語になるのか』(青土社、2009年)、エマニュエル・ギベール『アランの戦争――アラン・イングラム・コープの回想録』(国書刊行会、2011年)。