『水色の部屋』下巻
ゴトウユキコ 太田出版 \800+税
(2015年4月15日発売)
ゴトウユキコの描く男には嘘がない。
女性作家の描く男性の多くには(あるいはその逆には)、女性の(男性の)憧れが仮託されている。
しかし、ゴトウユキコの視線は、まるで男を射精する動物のようにとらえる。たとえばデビュー作である『R-中学生』では、中学生男子の、愚かで、賢しく、単純で、繊細で、鈍感で、儚く、陳腐で、豪胆で、みすぼらしく、美しい様が、まるで動物園で写生でもしているかのような観察力で描き出されていた。
ギャグタッチだからこそ笑って読み飛ばしてはみせても、その盗撮映像のような自然な手触りに、どこか居心地の悪さを感じた男性読者は少なくなかったのではないかと思う。
それがギャグという皮をはぎ、むき出しのまま提示された作品が、『水色の部屋』である。
クラスでも浮いている内気な高校生・柄本正文は、2人暮らしの若く美しい母親・沙帆へ道ならぬ欲望を抱いている。
そんな彼に唯一親しく話しかけてくれる幼なじみの三好京子は、正文のクラスメイト・河野洋平とつきあうようになる。社長の息子で、しっかりとした好青年風の河野と親交を持つことで、正文、沙帆、京子たちの関係はあらぬ方向へと転がりはじめる――。
実際、『水色の部屋』の性は、襖の隙間からのぞき見られ、スマートフォンのカメラで撮影され、ネット上で回し見られる。人をいらだたせる「すかした目」により窃視される性。
しかし、ここでやや抽象的な語りを許していただけるならば、『水色の部屋』で(作者により)盗み見られているのは、センセーショナルでほの暗い性ではなく、われわれ読者自身の姿だったのではないか。
上巻のラスト、河野がこちらを向いて語る「何見てんだよ」というセリフは、そうした入れ子的な構造を露呈させるものとして機能しているように見える。
「水色の部屋の夢」が自身の欲望をのぞき見る自身の目であったのだとすれば、『水色の部屋』はまるで鏡のように、われわれに直視したくはなかった歪んだ欲望を自覚させんとせまりくるかのようだ。
<文・高瀬司>
批評ZINE「アニメルカ」「マンガルカ」主宰。ほかアニメ・マンガ論を「ユリイカ」などに寄稿。インタビュー企画では「Drawing with Wacom」などを担当。
Twitter:@ill_critique
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