『小学館文庫 漂流教室』第1巻
楳図かずお 小学館 \581+税
5月21日は「小学校開校の日」。
1869(明治2)年のこの日、京都市に日本初の近代小学校「上京第二十七番組小学校」と「下京第十四番組小学校」が開校したことにちなむ記念日。
なお、この小学校は町の人々からの寄付によって作られたもので、まだ今で言うところの文部科学省の前身も存在しなかった時代。もちろん、まだ義務教育というシステムもなかったわけなのだが、そんな頃から市民によって小学校が作られたというのは非常にありがたいお話だ。
それが発展して日本の教育システムが完成したからこそ、たとえば日本の識字率は世界的に見ても非常に高かったりするわけで、ある意味、だれでもマンガを読めるのだって教育のおかげかもしれない。
でも、それは大人になったから言えることで、実際に小学生だった頃は「学校なんかなくなってしまえ!」と、誰しも一度ぐらいは思った経験があるはず。
で、実際に学校がなくなってたいへんなことになるのが……かの楳図かずおの名作マンガ『漂流教室』。いや、もう、本当に想像を絶するたいへんなことになるんですけどね!
『漂流教室』は「小学校自体が荒廃した未来へ飛ばされてしまう」という開幕からのすさまじい衝撃展開もさることながら、その後に登場する巨大な怪虫や不気味すぎる未来人、そして何よりもおそろしい「給食のおじさん」こと関谷などなど、トラウマ級の恐怖が死ぬほど満載。
でも、ただ怖いだけじゃなく、『漂流教室』はその結末によって「超名作」へと昇華したと言えるでしょう。
くわしい経緯はあえて省きますが、現代に戻れないという絶望を受け入れ、自分たちを「未来にまかれた種」だと言い切るラストは、そこまでの苦難に満ちた日々を読んできた読者なら、心に響きまくるものであるはず。
そして、その未来へ漂流してしまった大和小学校の児童たちだけでなく、全国どこの小学校も「未来に種をまく」ためにあると言えるんじゃないでしょうか。
ありがとう小学校。そう思えるように、願わくばなるべく多くの子どもたちに『漂流教室』を読んでほしい。
まぁ、そこまで深いことは考えずとも、『漂流教室』を読めば、ふつうに学校に通えることや、給食のおじさんの気が狂っていないことに感謝したくなるでしょう。
ついでに全国の小学生の間で「試行錯誤」が流行語になったりするといいですね(※たぶん、それは流行りません)。
<文・大黒秀一>
主に「東映ヒーローMAX」などで特撮・エンタメ周辺記事を執筆中。過剰で過激な作風を好み、「大人の鑑賞に耐えうる」という言葉と観点を何よりも憎む。