日々発売される膨大なマンガのなかから、「このマンガがすごい!WEB」が厳選したマンガ作品の新刊レビュー!
今回紹介するのは、『ニセコイ』
『ニセコイ』 第25巻
古味直志 集英社 ¥450+税
(2016年10月4日発売)
ラブコメ作品で一時代を築いたとある有名漫画家いわく、「ラブコメを単行本で15巻以上続けるのはかなりしんどい」のだという。
理由は単純。エピソードのネタが尽きるのだそうだ。
週刊連載だとだいたい3年弱。ささいなことですれ違って、喧嘩して、仲直りして、距離が縮まって……というオーソドックスな展開をあらかたやり尽くし、バレンタインやクリスマスといった季節もののエピソードもそれぞれ1~2回は描いている、といった頃だ。
それ以上連載を続けようと思ったら、なんらかのかたちで作品の基本構造を変えるしかない。たとえば、バトルものに路線転換するとか。脇役にスポットを当てるとか。
この理論がどれくらい正しいものか。
厳密に検証したわけではないが、長年ラブコメ作品を愛読してきた人間の肌感覚としては、大きくは間違っていないような気がする。
『ニセコイ』は、その「しんどい」地点から10巻続いた。
途中、続々と新ヒロインがテコ入れ的に投入されはしたものの、一条楽(いちじょう・らく)というひとりの少年と、桐崎千棘(きりさき・ちとげ)、小野寺小咲(おのでら・こさき)という2人の少女が織りなす三角関係から、作品の基本線は最後までブレなかった。そして、あくまでラブコメとしての本道を貫いたまま、第25巻での堂々完結である。
ひょんなことから楽と小咲が両想いであると知り、2人の前から姿を消した千棘。
こんなかたちでの別れを望まない楽は、仲間たちの力を借りて彼女を追いかける……。
(ご注意:以下、作品の結末に触れています。)
……というわけで、千棘を選んだ楽に、小咲……いや、ここから先は、心情的に小野寺さんと書きたい。小野寺さんは振られてしまうわけです。
かわいそうですよ。
ずっと両想いだった。何度もチャンスがあった。おまけに、昔、将来を誓った運命のヒロインだった。
なのに最後、楽に振られてしまう。こんなことがあっていいのだろうか!?
雑誌連載時に最終回近辺の展開を読んだ時にもワナワナと震えたものだが、単行本でもあらためて、血の涙を流すようにして読んだ(いうまでもないが、当方、圧倒的に小野寺さん派だったのである)。
しかし、読者にそんな怒りにも似た感情を抱かせるのは、まさに著者の狙いどおりだったのだと思う。
いささか大仰な言い回しになるが、人を愛すること、そして、人に愛されることというのは、どれだけ真剣な、切実な、重大なことなのか。
そうしたことを、長い時間をかけてヒロインたちが主人公に愛情を向ける姿を描いたうえで、はっきりと失恋の場面を描くことによって読者に伝えようとした。
『ニセコイ』とは、そんな作品だったのだ、と今ならわかる。
その意味で、作品の結末で選ばれたヒロインは千棘だったが、しかし、この作品の本質にある、もっとも重要なところを背負っていたのは、小野寺小咲という少女だったのだといえるだろう。
つまり、小野寺さん派は、試合には負けたけど勝負には勝ったってことです、はい(据わった目で)。
……こんな調子で、思わず熱くなってしまうくらい、生き生きとした、そして、繊細なキャラクター描写が光る作品だったな、とあらためて。
どのキャラもいじらしく、たまらなく愛おしい。そう感じさせる表現上のいちばんの特性は、表情の描き方の巧みさ。じつにバリエーション豊かで、最後までその表現は進化し続けていた。
特に終盤、恋心を自覚したところと、振られた直後のヒロインの表情は、マンガ好きなら一見の価値がある。
あと、再読してあらためてしみじみと思ったが、コマ割りがじつに見事。位置関係の見せ方から、カメラの寄り引き、視線誘導などなど、どの点を取っても読んでいてまったくストレスを感じない。最近ではちょっと珍しい、オーソドックスな巧みさがある。すばらしい技術だ。
物語についても、技術についても、完結をきっかけにもっともっと語られていい。
……あ、最後にその、蛇足ですけど、ひとつだけいいでしょうか。
こんなに好きな作品ですけど、第25巻の描き下ろしだけは、み、見なかったことにしたいっす……。
小野寺さん……あああああ……そんな……そんなぁ……。
<文・後川永>
ライター。主な寄稿先に「月刊Newtype」(KADOKAWA)、「Febri」(一迅社)など。
Twitter:@atokawa_ei