重々しい内部告発本には感じられない理由
──タイトルだけ見るとセンセーショナルな内部告発のようにも思えるんですが、実際に読んでみると、あくまで高田さんの個人的な体験が淡々としたタッチで描かれているのが印象的でした。
高田 前作は、私が小学生の頃の話なので、いろいろな思いも時間の経過とともに落ち着いてしまって、その上で残ったものだけを描きだしたらああなった感じですね。
続編の『さよなら、カルト村。』のほうは、中・高校生時代の話で、前作よりは日が浅い記憶なので、そのぶん恥ずかしかった気持ちや腹が立った感情が落ちついてなくて、どうしても前作より生々しい描き方になった気がします。前作は上澄み、続編は薄濁り、ですね。
──内容的にもヘヴィといえばヘヴィなんですけど、絵柄がまるっこいタッチなので、いい具合に中和されて、独特のキャッチーさやノスタルジックな抒情すら感じさせます。先ほど話に出た、西原理恵子さんにも通じるような…。これはあえて意識された部分なんでしょうか?
高田 うっ、絵に関しては、もう少し上手になりたいとは思っているのですが……。あえて意識して描き分けるような技術も引き出しもなく、現在の絵柄が今のところの精一杯です。
──そうなんですね。セリフなどの文字がすべて手描きなのもほのぼの感を醸し出しています。といっても、いかにも手描きではない、すごく整った読みやすい文字なんですけど……。
高田 村にいたとき、字の練習をやらされる時間がけっこうあったんです。そのとき、同学年の中で一番好きな字を書く子にお手本の字を書いてもらって、それをマネて練習していました。なので、自分自身の字というよりは、学習して身につけた字なんです。
文字が手描きになった理由は、担当の編集者さんが「手描きがいい」といわれたから。自分では印刷して販売されてよい字だとは思えなくて、けっこう抵抗したんですが、説得に負けました(笑)。ただ、読み返すたび恥ずかしくて頭を抱えてしまいそうなので、単行本用の原稿を描くときは、新たに字のお手本を自分で作って、その字ですべて描きました。だから、普段の自分の字とはちょっと違う字なんです。
微妙にでも自分の字と変えておけば、あとで単行本を読み返すときに少しは冷静でいられるかなって。
──なるほど。内容はヘヴィだけどあたたかみがある、でも生々しくはない。文字ひとつとっても、そういう絶妙なバランスがあるように思います。高田さんの素の発言に対して、旦那さんのふさおさんが「いや、それおかしいって!」と突っ込むバランスも絶妙ですよね。村を肯定も否定もしない、両方の視点が混在しているスタンスで……。
高田 そうですね。私がはじめて村の出身だと告白したときのふさおさんの第一声は、「へー、カルト村……そういえばどこかで聞いたことあるような?……ところで海ほたるって行ったことある?」だったし、村に対して批判はするけどまったく気にしていない。小さい頃の話をすると不憫がられて頭をよしよしされますが、基本的に彼にとっては目の前にあるものだけが興味対象なようです。
──じゃあ、高田さんが村のことを描くことについても、特に反対はなく?
高田 一度も反対された覚えはないですね。描き始めたときは「無職でブラブラしているより、やることがあったほうがいいよね」くらいの感じでした。連載が決まったときも「すごいねー、がんばれ」といってくれて、単行本化が決まった時も「へー、おもしろいねー。まぁそんなに売れなくても、いい経験だと思ってやったら?」という反応でした。発売されて、書評が新聞に載ったときには、さすがに「これかやちゃんだって村の人にもバレるよね。ご両親への反応は大丈夫か?」と気にしてくれましたが、村に対して何も思っていないので、反対も賛成もしようがないようです。逆に、世間一般の反応に「こんなにいろいろ思うのか! みんな暇なんだなー」と驚いているようです。
──高田さん自身は「カルト村」について描くことに恐怖はなかったんでしょうか? 村の出身者のなかには、村にいたことを頑なに隠している人も多いかと思うのですが…。
高田 いや、私もずっと隠してきましたし、今も隠してますよ! ふさおさんとそのご家族には付き合う前に話しましたが、通常「村にいた」と人にいってよいことなどひとつも考えられませんし、いったとたんにそれまでとは違う目で見られることのほうが多いと思います。村に対しての恐怖みたいなものは、昔の話なのでまったくありませんが、今後、普通の会社勤めに戻ったとしても、村の話も本を描いた話もだれにもしないと思います。
──なるほど……。だからこそ意図的な編集がまったくなされていない、当事者の生の声が聞けることはなかなかありませんし、本書はそういった意味で貴重なドキュメンタリーでもあります。村では村以外に住む人たちのことを「一般」と呼んでいるのが、なにげに衝撃でした。学校で一般の子の自由な暮らしぶりを見て、ああいうふうに暮らしたい! とごねたりすることはなかったんですか?
高田 一般の子に暮らしぶりを聞いても、「その子になりたい」とか「そういうふうに暮らしたい」と思ったことはありませんでしたね。小学生の頃、夏休みの補習で、数日だけ学校に通ったのですが、そのときは優しい先生と仲良しの学校の友だち数人だけの時間でとても居心地がよくて。あまりに楽しかったので、補習の必要がなくなっても学校へ通い続けたのがバレて、世話係さんに怒られたことがありましたが、だからといって、普段から村より学校のほうが好きだったというわけでもなく……。
私にとっては「両親のいる場所」が自分のいたい場所だったので、たとえ一般の暮らしを知っても、そこに両親がいないかぎり、魅力的ではなかったんです。
──切ない話ですね……。作中では、高田先生は村の問題児として描かれています。それは、たとえば親とも自由に会えないような村の厳しいシステムについて、幼いながらに疑問や反抗心を抱かれていたということ?
高田 特別、反抗心があったわけではないと思うのですが、問題児として扱われていたことはたしかです。自分のなにが大人の気にさわるのかよくわからなかったのですが、ただ単に泣き虫でふくれっ面だったから、かわいくなかっただけかもしれません。村の大人にかぎらず、小学校の先生とも、先生いわく「大人同士のような喧嘩」をしていました。今考えると、大勢で暮らしていたので、人の顔色や言動から気持ちを推察しようとする力がやや強く、それで無意識に人がいちばん気にしているところをついてしまうことが多かったのかな……と思います。
──そんな厳しい、子どもらしさを奪われた生活の一方で、食べ物はすべて村で作られた有機栽培の野菜や肉や卵で、今おもえばぜいたくだった…と冷静に回想されているのも印象的です。自然だらけの環境や食べ物以外で、村で育ってよかったと思われることはありますか?
高田 村で育って身についた特技といえば、「大勢の人が話をしているなかでも眠れること」ですね。常に周りに人がいたので、どんなに周りで大勢が騒いでいても一人ひとりの声をまとめてひとつの音にして、聞き流しながら眠れるようになりました。この特技があれば、たとえば緊急事に避難所などで眠ることがあっても、たぶんストレスを感じずに眠れるだろうと思います。
──それは不幸中の幸いというか……。子どもの頃から「所有欲をなくす教育」をされていたというのも衝撃でした。一般に出てから物欲が爆発したとか、あるいは今だに物欲がないとか、村での特殊な教育がその後の人生になにか影響を与えていることはありますか?
高田 村にいた時も今も、人並みに物欲はありますよ(笑)。
ただ、村で行われたミーティングによって、所有欲をいったん自分から離す感覚を覚えたので、物欲は爆発することもゼロでもなく、その時々でコントロールしています。でもいったん所有欲のコントロールを覚えてしまうと、自分の欲望を離したときの身軽さも覚えてしまうので、人との付き合いでも深入りせず、どんなに親密になってもすぐ相手を切り離してしまえるため、人付き合いや感情が希薄になってしまうきらいはあると思います。
『カルト村で生まれました。』
高田かや 文藝春秋 ¥1000+税
(2016年2月12日発売)
3月公開予定の後編では、高田さんの「カルト村」と「家族」についての思い、それらが自身に与えた影響について、さらに深く突っ込んでゆきます。どうぞお楽しみに!
取材・構成:井口啓子
高田かや先生の『カルト村で生まれました。』
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