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『月に吠えらんねえ』 第7巻 清家雪子 【日刊マンガガイド】

2017/07/22


日々発売される膨大なマンガのなかから、「このマンガがすごい!WEB」が厳選したマンガ作品の新刊レビュー!

今回紹介するのは、『月に吠えらんねえ』



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『月に吠えらんねえ』 第7巻
清家雪子 講談社 ¥740+税
(2017年6月23日発売)


「詩」という言葉の辞書的な意味を調べてみると、

「文学の一部門。自然や人事などから発する感興を一種のリズムを持つ言語形式で表現したもの。押韻・韻律・字数などによる律格のあるものと、そうでない自由なものとがある。叙事詩、抒情詩、劇詩などに分けられる。」

という一節を見つけることができる。
一方で、「詩」を意味する英語 「poem」から転じた日本語「ポエム」は、現代の文脈では「叙情的すぎて論理性を欠いた表現」という露悪的なニュアンスを帯びる。
ひどい場合は単に論理性を欠くだけでなく、自己陶酔に耽溺した下劣なものという侮蔑すら含む。

この侮蔑には自己陶酔を戒め論理性を尊ぶ功利的な考え方への強い傾向が認められる。
詩を書くこと、あるいは詩を愛することは、この侮蔑に対峙して主観や感覚にたちかえることでもあり、客観性や合理性への批判をはらんでいる。

もちろん、詩を、単なる反客観的で非合理的なものであると考えるのは正しくない。
「詩とは何か」という問いは、古今東西の有名無名の詩人たちによってそれぞれの実践のなかで繰り返され、そのつど答えが提示されてきた。「詩人はどのように生きるべきか」という問いに対して、彼らが自分たちの生きざまで「回答」してきたともいえるだろう。

「近代詩歌俳句の各作品から受けた印象をキャラクター化した」登場人物たちが活躍し、苦悩する異色作『月に吠えらんねえ』の最新巻では、主人公「朔」が、サイパンらしき島の浜辺で戦闘機の襲来を迎え撃つ。

明治維新以降、日本も「近代」という世界の精神的な恐慌状態に巻きこまれた。
日本の文学はもともと主観と客観の区別が曖昧であり、西欧文学の猿真似をして急激に主客の区別をしようとしたためにさらに激しい歪みを生じさせてきた。
萩原朔太郎は日本近代詩の父と評されているが、それは彼がこの歪みを文学のかたちに落としこみ昇華させたからだ。

本作には、この萩原朔太郎を始めとして、何人もの近代作家の作品から作られたキャラクターが登場する。彼ら登場人物は、詩人や歌人や俳人の住まう「□街(しかくがい)」と、小説家たちの住む「小説街」などのある架空の世界に生きている。
この世界では、時代が混乱したり、突然震災や戦火が襲ってきたり、説明不可能な現象が多発する。詩人たちの主観の強い世界観なのだからしかたがない……というようなノリで序盤は読み進められるのだけれど、作中世界の混迷は複雑さの度合いをどんどん深めていく。

第1巻からたびたび登場し重苦しい謎を突きつけてくる「縊死体(いしたい)」という化物が、自分で自分を攻撃することでしか生きられないという主人公の体内に侵入し、彼を「ママ」と呼び苛む。
彼は、「本来の彼」になりかわってその「席」に座っていた偽物であることに悩む。これをどう読むかは読者次第だろう。史実の萩原朔太郎が「本来」で作中人物が「偽物」なのか、あくまで作中世界での「本来」と「偽物」なのか、あるいは近代人特有の理念的な本来性の追求とその挫折の表現なのか、多様的な読みが可能な描写になっている。

今「近代人特有の理念的な本来性の追求とその挫折」と書いたことは、主人公のまわりのほかの詩人たち、とりわけ彼に思慕される「白さん」(モデルは北原白秋作品)、兄弟弟子で詩人から小説家へと転身する「犀」(モデルは室生犀星作品)、弟子を自称し献身的に身の回りの世話を焼く「ミヨシくん」(モデルは三好達治作品)らにも共通する。

たとえば主人公の心身を気づかいながらも、彼が苦悩することですばらしい作品が生まれることに至上の興奮を覚える「変態」ことミヨシくんは、作中で「あなたもまた 君は誰 と問われる存在」といわれる。

最新巻では、戦時中に詩人賞にも選ばれた西村皎三の作品をモデルにしたコウゾウというキャラクターが登場する。コウゾウは軍人として戦地で詩作する軍人詩人だ。
彼は戦時中だから評価され、戦後はほぼ無名になり、主人公たちのいる詩人の町「□街」に住むことができない。「□街」の住人たちにとって太平洋戦争とその時代は、近代の錯乱を強制的に清算し全体主義へと画一化することを求める時代であり、同時にその錯乱が頂点に達する時代でもあった。

錯乱に満ちているがゆえに鮮やかな近代人の理念と挫折の対比は、拒絶されて隠蔽されたかたちで現代にもつながっている。本作を読む読者が生きる現代とまだその錯乱から自由になったとはいえない。
本作『月に吠えらんねえ』が文化庁メディア芸術祭の新人賞受賞作に選ばれているのには不気味な再帰性があるように思えてならないが、それにふさわしい傑作になることは疑いない。
多重多層な描き方、語り方は読者を選ぶかもしれないが、ひとりでも多くの人に読んでもらいたい。



<文・永田希>
書評家。サイト「Book News」運営。サイト「マンガHONZ」メンバー。書籍『はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド』『このマンガがすごい!2014』のアンケートにも回答しています。
Twitter:@nnnnnnnnnnn
Twitter:@n11books

単行本情報

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