日々発売される膨大なマンガのなかから、「このマンガがすごい!WEB」が厳選したマンガ作品の新刊レビュー!
今回紹介するのは、『Ms.マーベル:もうフツーじゃないの』
『Ms.マーベル:もうフツーじゃないの』
G・ウィロー・ウィルソン(作) エイドリアン・アルフォナ(画) 秋友克也(訳)
ヴィレッジブックス ¥2200+税
(2017年9月29日発売)
イスラム教徒の女子高生を主人公として、アベンジャーズでも活躍した「Ms.(ミズ)マーベル」の次世代ストーリーを立ち上げる……。
4年ほど前にマーベル・コミックがそう発表して以来大きな反響を呼び、米国で暮らすムスリムの生活風景をヒーロー物語と自然に融合させた内容がヒューゴー賞を獲得するほど高く評価された本作が、今年9月ついに日本でも刊行された。
これは2014年に発表された「Ms.マーベル」タイトル第1~5話に他1編をまとめたもので、日本のアメコミファン待望の邦訳版が3年ごしでとうとうやってきた、ということになる。
話の発端は、『インフィニティ』というシリーズで描かれたイベントにもとづいている。
アベンジャーズと宇宙規模の敵勢力との戦いで、超人類の遺伝子を持つ人間を強制的に覚醒させる霧が地球上にぶちまけられ、大量の特殊能力者が発生する出来事があった。
その際、ジャージーシティに住むイスラム教徒のパキスタン系移民の家に生まれ育ったカマラ・カーンという16歳の少女も巻きこまれていた……というのが本作の導入だ。
カマラに備わったのは、変身能力。
思い浮かべた他人そっくりになれるほか、身体のサイズを巨大化・縮小化したり、拳や足だけを巨大化させて強烈な攻撃を繰りだすこともできる。
アメコミヒーローにかぎらず、優れた超能力ドラマは能力とキャラクターの精神性をうまくリンクさせる。
カマラの場合は、食べものの禁忌を初めとした戒律に従うムスリムであるために米国社会で不自由さを味わう一方、ムスリム家庭のなかではアメリカナイズされた感性の若者であるために窮屈さを味わうという、どっちを向いても微妙な立場から、今の自分以外の者になりたい、という悩みに変身能力がうまくスポットライトを当てる仕立てになっている。
カマラは、なりたくてもなれない対象として、アベンジャーズのヒーローたちに憧れていた。
ネットで二次創作小説を書きまくるほど入れこむヒーローマニアだったが、そんな彼女が本当にヒーローと同じ力を手に入れたら……。いやー、それでも苦労することになるんだよねー、という話である。
変身能力によって、まずは金髪白人美女に化けて「Ms.マーベル」を名乗るカマラ。
本物のMs.マーベルは別名義になっているので、空席を勝手に埋めたかたちである。
しかし、かっこはよくても暴漢と命のやりとりをする準備も覚悟もできていない。必ずしも思いどおりの活躍はできず返り討ちにあったりもする。
なにより友だちや家族との人間関係はあくまでカマラのものだ。それがスパっと解決するわけでもない。
結局自分は自分なのだ、という現実に向きあうビターな展開を経て、真似ごとを突き抜けた真のヒーローへのとっかかりをつかんでいく成長譚は読みごたえ抜群だ。
重要なのは、主人公がムスリム少女という設定は現在的で新鮮でありつつも、「まずひとりの人間がいて、その境遇がたまたまこうである」という代入性を帯びる点だろう。
本作から現実の欧米における宗教・人種・性そのほかが置かれる政治状況の照り返しを受けとることはもちろんできるが、カマラの物語は時代性という特殊さをくぐった先にある、普遍的な青春劇「でも」あるのだ。
日本版のカバーは『HEROMAN』『ベイマックス』のキャラクターデザインなどマーベル筋とも縁の深いコヤマシゲト氏が担当したオリジナルイラストである。カマラがスーパーヒーロー衣装でキメながらスマホを構えつつ、教科書を詰めこんだリュックサックを手に提げている構図は、上に述べた青春劇の趣を汲み取った秀逸なものになっている。
なお、10月末発売の『グウェンプール:こっちの世界にオジャマしま~す』と11月発売の『絶対無敵スクイレルガール:けものがフレンド』と本作の3冊を購入した人には、ハガキ応募の全員プレゼントで宇宙大魔神ギャラクタスの娘を主役とする超異色作『ギャラクタ:パパは宇宙魔神』邦訳版がもらえるそうだ。
気になる人はがんばってまとめ買いしてみよう。
<文・宮本直毅>
ライター。アニメやマンガ、成人向けゲームについて寄稿する機会が多いです。著書にアダルトゲーム35年の歴史をまとめた『エロゲー文化研究概論 増補改訂版』(総合科学出版)。『プリキュア』はSS、フレッシュ、ドキドキを愛好。
Twitter:@miyamo_7