『マカロニほうれん荘』第1巻
鴨川つばめ 秋田書店 \419+税
1978年1月14日、アメリカツアー中のセックス・ピストルズから、ボーカルのジョニー・ロットンが脱退。
世界規模で勃発したパンクムーブメントの立役者は、実質的に解散状態となった。
ピストルズはもともとロンドンで「SEX」というブティックを経営していたマルコム・マクラーレンがプロデュースしたバンド。
マルコムは渡米中ほんのわずかの間だが、ジョニー・サンダースが所属していたニューヨークのロックバンド、ニューヨーク・ドールズのマネージャーを務めたことがあり、ニューヨーク・パンクをイギリスでも流行らせたいと画策したのだ。
メンバーは「SEX」の店員だったグレン・マトロック(ベース)、「SEX」の常連客だったスティーヴ・ジョーンズ(ギター)とポール・クック(ドラム)、そしてオーディションで選んだジョニー・ロットン(ボーカル)の4人。
1976年11月26日にシングル『アナーキー・イン・ザ・U.K.』(『Anarchy in the U.K.』)でデビューしたピストルズは、スリーコードのシンプルなロックンロールながら、先鋭的なファッションと反骨精神あふれる歌詞、刺激的なスキャンダルの数々で瞬く間に注目の的となる。
翌年にはグレンが脱退してピストルズの熱狂的な信者だったシド・ヴィシャスが加入。ベースプレイはお粗末ながら、グッドルッキンと派手なパフォーマンスでピストルズの人気をさらに高めた。
だが重度のジャンキーだったシドの存在がバンドに暗い影を落とす。ソングライターだったグレンが去り、ラリって過激な行動をとるシドばかりが注目され、先のなさそうなピストルズにロットンが見切りをつけたのだ。
1977年10月28日にファーストアルバム『勝手にしやがれ!!』(『Never Mind the Bollocks』)をリリースしてから、3カ月足らずの出来事である。
一方、ピストルズの短い活動期間中、日本のマンガ界にも衝撃的な作品が誕生した。1977年に「週刊少年チャンピオン」で始まった鴨川つばめの『マカロニほうれん荘』である。
都内のピーマン学園に入学した沖田総司が、落第10回生の膝方歳三(25歳)&落第24回生の金藤日陽(40)と、下宿先の「菠薐荘(ほうれん荘)」で一緒になったことから始まる、スラップスティックコメディだ。
高齢問題児が暴走しまくるハイパーギャグにロックの影響を存分に落とし込んだ斬新な作風は、まさにパンク。
第17話「お祭りですわん」の扉はピストルズがモチーフで、彼らの代表曲『God Save the Queen』のジャケット風に仕上がっている。
『マカロニほうれん荘』は人気絶頂のなか、鴨川が力尽きる形で1979年10月15日号をもって終了。
慣れない週刊連載に疲弊した鴨川は、何度も編集部に終了を打診したというが、人気作ゆえになかなかOKが出ず、なかばボイコットに近い行動に出たうえでの最終回だった。
わずか2年ほどの活動期間で世間に衝撃を与え、その後も多大な影響をもたらし続けているところも、ピストルズと『マカロニほうれん荘』はシンクロしている。
ただし鴨川(1957年生まれ)にしても、ロットン(1956年生まれ)にしても、ハタチそこそこで成功を手に入れたはいいが、大人たちの都合に振り回され、グダグダな幕引きになってしまったことが残念でならない。
鴨川は1998年に「コミックビンゴ」で連載された『塩味チーズ味』以降、表立った活動をしていなかったが、2009年3月に「週刊少年チャンピオン」の40周年記念企画で『マカロニほうれん荘』の新作ポスターを描き下ろした。
あの第17話の扉をアレンジしたもので、シドに扮したそうじが「SEX PISTOLS」のTシャツを着ていて思わずニヤリ!
<文・奈良崎コロスケ>
68年生まれ。東京都立川市出身。マンガ、映画、バクチの3本立てで糊口をしのぐライター。中野ブロードウェイの真横に在住する中央線サブカル糞中年。
「ドキュメント毎日くん」