『水木しげるの泉鏡花伝』
水木しげる(著)秋山稔(監)小学館 \1,600+税
(2015年4月24日発売)
鼻息と放屁のあのマンガ的技法! それだけでも“水木サン”こと水木しげるの味わい充分なのだけれど、ねずみ男や一反もめんまで作品を彩るキャラクターとして登場しているのだから、たまらない。
本作は、美と幻想の文豪・泉鏡花の生涯をマンガ化したもの。
その年代ごとの泉鏡花の傾向と代表作に添う形で、水木しげるが独自のタッチを加えて描いた「黒猫」(1895年)、「高野聖」(1900年)がコミカライズされて掲載されてもいる。
水木しげると泉鏡花は、それぞれに異界を描いてきた作家。“お化け”が好きな者同士という共通項もある。
ただ、水木しげるといえば、それこそ鼻息や放屁のあのタッチだ。かたや泉鏡花は、浪漫主義の耽美主義。ある意味では、まったく違うベクトルの作家同士だともいえる。
しかし、本作を読めば、泉鏡花はなかなかに人間くさくて、なかなかの変り者だったことがわかる。まさに水木ワールドのキャラクターさながらだ。
加えて、泉鏡花が描くものの、その作品性。
たとえば、本誌作でマンガ化されている「黒猫」は、良家の令嬢に片思いした男が、その死後に女性がかわいがる猫に憑依して襲いかかるという物語だ。ジャンルとしては、幻想奇談。
ただ、そこに至るまでに偶然と運命と策略のかけひきで彩られる、男と女の情念のドラマがある。平たく言ってしまえば、それは昼ドラや韓流ドラマのようなもの。だからこそドキドキもさせられて、胸をつかまれる。
そう、こう言い切ってしまうと語弊があるかもしれないが、泉鏡花の文学は大衆文学なのだ。浪漫的で幻想的でありながら、大衆的。
逆を言えば、大衆性が根底にあるからこそ、浪漫的にも幻想的にもなる。
そして水木しげる作品も、同様だろう。
人間くさい妖怪たちと、妖怪くさい人間たちによる浪漫的で幻想的な大衆文学こそ、水木作品だ。
そうした意味で水木しげると泉鏡花は、相性がいい。そして水木しげるだからこそ、泉鏡花の作家イメージと作品イメージが持つ近寄りがたさを打ち砕いて、本質的な魅力を見せてくれているのだと思う。
それでいて、情報も情緒も満載。
伝記マンガならぬ、伝奇マンガだ。
<文・渡辺水央>
マンガ・映画・アニメライター。編集を務める映画誌『ぴあMovie Special 2015 Spring』が3月14に発売に。映画『暗殺教室』パンフも手掛けています。