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『脳内ポイズンベリー』第5巻 水城せとな 【日刊マンガガイド】

2015/05/24


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今年、『失恋ショコラティエ』を美しく締めくくった水城せとなは、つづいて『脳内ポイズンベリー』を完結させた。

バイトとしてケータイ小説を書く30歳独身・櫻井いちこが、年下のアーティスト志望・早乙女亮一と、友人の友人である編集者の越智とのあいだで揺れるというシンプルな三角関係を物語上の骨子にすえながら、作品の中心を占めるのはいちこのかしましい「脳内会議」。
自分のなかに渦巻く異なった感情たちが、吉田(議長)、ハトコ(瞬間の感情)、岸(記憶)、池田(ネガティブな思考)、石橋(ポジティブな思考)、そして第6の女というかたちで擬人化され、(ラストのメタ性を踏まえれば、背景の省略可能な空間で)ワーワー大騒ぎを繰り広げる。

タイトルに含まれる「ベリー」もまた、恋愛の甘酸っぱさという定番の比喩や、いちこに対して早乙女の言う「イチゴみたいでかわいい名前だな」というセリフに加えて、ひとりの人間に多数の脳内人格が紐づいているその集合果的形態を意識してのものだろう。

そして、そこで描かれるのはいかにも水城せとならしい「毒薬(ポイズン)」である。

誤解を恐れずにいえば、『失恋ショコラティエ』のヒロイン・サエコは、(こと主人公・爽太のフィルターを通すことで)その思考が「見えなすぎる」(それゆえにたぶらかされたい男心をくすぐってやまない)底知れぬモンスターとして存在していた(ドラマ版における、石原さとみの毒々しい怪演も必見!)。

対して、『脳内ポイズンベリー』のいちこは、内面が「見えすぎる」。
モノローグで心情を語るという域を大きく超え出て、行動へと至る戦略や葛藤が赤裸々に開陳されつづける。

しかし、そうであるがゆえにむしろ、読者が本当に毒気に当てられるのは、サエコよりいちこのほうではなかったろうか。
『失恋ショコラティエ』では、サエコの内面が見えないゆえに爽太は翻弄されつづけた。同様に『脳内ポイズンベリー』でも、早乙女の内面がみえないがゆえにいちこは翻弄されることになるが、(こと男性)読者の側からすれば、むしろ簡単に読めるのは早乙女の矮小な思考のほうだろう。

それよりも、いちこの見えすぎる内面こそが読めない。
もちろん、脳内会議はコメディタッチで演出された楽しいものではあるし、計算高いふるまいそのものに戸惑うなどとナイーブなことを言うつもりもない。
読めないのは、そうした打算をはみ出してしまう、制御不能な情動の生々しさだ。
こちらがいくら周到に相手の脳内会議を有利なほうへ誘導しようとしたところで、それはきっと、ほんのささいなきまぐれでひっくり返ってしまう。

内面の動きを可視化することによって前景化するのは、「さんざん考えて(中略)決めたはずなのに、イザって時に突然ひっくり返っちゃったり」する不可視の感情なのである。
しかしその“毒々しいベリー”を食らうこともまた、理性的な脳内会議では止めることができない。



<文・高瀬司>
批評ZINE「アニメルカ」「マンガルカ」主宰。ほかアニメ・マンガ論を「ユリイカ」などに寄稿。インタビュー企画では「Drawing with Wacom」などを担当。
Twitter:@ill_critique
「アニメルカ」

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