『手塚治虫文庫全集 バンビ』
手塚治虫 講談社 ¥800+税
73年前のきょう8月13日、ディズニーアニメ初期の長編映画5作目『バンビ』がアメリカで公開された。
主人公は、森に暮らす動物たちを統治する父鹿と優しい母鹿の間に生まれた子鹿・バンビ。
内気でちょっと頼りないが、友と遊び、恋に出会い、さらにいくつかの事件や母との死別を乗りこえ、バンビはたくましい大人鹿になっていく。そして最後は父から森のヌシの座を継ぎ、勇壮な姿で森の頂に立つ。
登場するのは愛らしい動物だが、今あらためて見るとかなりハードな叙事詩であることに気づくはずだ。
本作はつまりひとりの王子が心と体に試練を課され、王に即位するまでを描く寓話であり、ほぼ神話的な作りを備えている。その普遍性ゆえ不朽の名作たりえるのだろう。
さて、そんな『バンビ』は、日本のマンガ史の一端を照らす存在でもある。
日本公開の1951年、かの手塚治虫がこの映画にどっぷりハマっていたのだ。
当人のエッセイ等を参照するに、手塚は劇場近くに宿をとって連日通い詰めたという。全上映回の券を買い、朝から晩まで鑑賞づけ。後のリバイバル上映も含めて通算130回(!)は見たというから相当なものだ。
映画を見るその場で熱心にスケッチもおこない、『バンビ』は手塚マンガの血肉になった。
時期的には、雑誌「漫画少年」で『ジャングル大帝』(1950~1954)を連載中のころだ。
『ジャングル大帝』初単行本は『バンビ』日本公開の数カ月後に刊行されるのだが、そこでは登場人物がレオとともに映画館で『バンビ』を鑑賞する場面が描き足されている。
いや、そうした表面的な反映は置いても、大自然アフリカに生きたライオンの王様の忘れ形見である子獅子・レオによる壮大なアニマル貴種流浪譚として展開するうえで『ジャングル大帝』が『バンビ』に補強された要素は多い。
線はやわらかくも厳しい自然描写、動物を介して描かれる寓話性の高い親子の魂のドラマ……。
さらに手塚はこのころ『バンビ』自体を絵物語で1作、マンガで1作描いている。
プロットは踏襲しつつも動物の戦闘描写など各所に手塚流のアレンジがあり、『ジャングル大帝』ほかいくつかの手塚作品をよりよく理解できる重要な資料だ。
ただディズニーと権利関係をクリアしていなかったためその後長らく幻の作品と化していたのだが、10年ほど前に復刻が実現。現在はリーズナブルな文庫の形で入手できる。いやー、ありがたいですね。
手塚治虫への一般的な印象はやや神格化が行きすぎて、マンガにおけるすべての影響源であるかのように誤解されがち……とここしばらくマンガ史研究の分野では指摘されている。
実際は前後または同時代に手塚をとりまく広い世界があったのだ。
手塚版『バンビ』は、「~から影響を受けた手塚治虫」というバランス感をもつうえでお役立ちといえよう。
<文・宮本直毅>
ライター。アニメや漫画、あと成人向けゲームについて寄稿する機会が多いです。著書にアダルトゲーム30年の歴史をまとめた『エロゲー文化研究概論』(総合科学出版)。『プリキュア』はSS、フレッシュ、ドキドキを愛好。
Twitter:@miyamo_7