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『ABC殺人事件 英玖保嘉門の事件手帖』第1巻 アガサ・クリスティー(作) 星野泰視(画) 【日刊マンガガイド】

2015/10/28


日々発売される膨大なマンガのなかから、「このマンガがすごい!WEB」が厳選したマンガ作品の新刊レビュー!

今回紹介するのは、『ABC殺人事件 英玖保嘉門の事件手帖』


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『ABC殺人事件 英玖保嘉門の事件手帖』第1巻
アガサ・クリスティー(作) 星野泰視(画) 小学館 ¥600+税
(2015年9月30日発売)


ミステリの女王と呼ばれるアガサ・クリスティーの名作長編『ABC殺人事件』を、『哲也 -雀聖と呼ばれた男-』などを手がけた星野泰視がマンガ化したもの。
舞台をイギリスから戦前の日本へと移し、クリスティーが生み出した名探偵エルキュール・ポアロを連想させる私立探偵・英玖保嘉門(えいくぼ・かもん)が活躍するミステリマンガである。

思い起こせば今年(2015年)の1月、三谷幸喜の脚本によるドラマ『オリエント急行殺人事件』がフジテレビ系列で放送されたが、こちらもクリスティーの原作を戦前の日本に翻案したものであった(野村萬斎が演じる勝呂武尊なるポアロを想起させる名探偵が登場した)。
同じ年に同様な試みが異なるメディアで行われたわけで、このあたりの「なぜ今クリスティーなのか?」という題材を論考していくのも興味深いところだが、ここではコミックスの紹介へと舵を切っておく。

1936(昭和11)年2月、ブラジルから帰国した元軍人の朝倉平助は、旧友の英玖保嘉門と再会した。
久闊を叙する(きゅうかつをじょする)2人であったが、翌日さっそく事件に巻きこまれる。

横浜山下町の洋館で、拳銃で頭を撃った若い外国人女性が発見された。拳銃自殺に思えたが、頭の傷口は左側にあるのに拳銃は右手に握られていた。
不自然な状況を見て、英玖保の「灰色の脳細胞」が動きはじめる。

英玖保嘉門は、丸っこい輪郭や口ひげ、細かい部分にこだわる言動などポアロをふまえた人物造形となっている(ポアロが口にする「灰色の脳細胞」という言葉も使っている)。
そして朝倉平助は、ポアロの旧友アーサー・ヘイスティングス大尉的な位置づけにある。

再会したふたりの最初の事件は、ポアロ物の短編「厩舎街の殺人」(短編集『死人の鏡』に収録)より採られたもの。
原作では、事件の日は「ガイ・フォークス・ナイト」で、花火や爆竹で銃声はかき消されたとしていたが、本書では舞台を旧正月で沸き立つ横浜・南京街へと移し、大量の爆竹の音に発射音が紛れたとしている。
こうした移植の腕前が絶妙なので、本編である『ABC殺人事件』の描きぶりにも期待が高まってくるのだ。

山下町の事件の解決後――嘉門のもとに「ABC」と名乗る人物から「今月二十八日ノ浅草ニ注意サレタシ」となんらかの犯罪を予告するような手紙が届く。
そして2月28日、2日前の「二・二六事件」により戒厳令が敷かれた東京・浅草(Asakusa)で煙草屋を経営する老女・芦屋安(Ashiya Yasu)が撲殺され、現場には「ABC汽車時間表」が残されていた(原作では、アンドーヴァー(Andover)でアリス・アッシャー(Alice Ascher)が殺害される)。
そして事件後、煙草屋に阿部と名乗る販売員が現れる。安に化粧水を売ったので、気になって訪れたと説明するが、はたしてそれは事実なのか……。

クリスティーの『ABC殺人事件』は、こうした物語である。
Aの頭文字のつく地名で、Aから始まる名前の人物が殺され、ABC鉄道案内が残されている。続いてB、Cと同様の犯行が繰り返される。

こうした一見無差別殺人に思える被害者間のつながり(リンク)を探していくタイプの作品を、ミステリのジャンルではミッシング・リンク物と呼んでいる。そして『ABC殺人事件』はミッシング・リンク物の代表作ともいうべきもので、星野は読者がそのおもしろさを追求できるように、原作に忠実に物語を運んでいる。

もちろん原作を尊重しながらも、日本を舞台にするうえで変更している部分もある。
たとえば『ABC殺人事件』の時代設定は1935(昭和10)年だが、本書の作中時間はその翌年の1936年となっている。この1年のずれは、おそらくは意図的なものだと思う。「昭和恐慌も一段落し、今から思えば平和な時代」に「二・二六事件」が影をさしかける。そうした不穏な世相と、景気回復の兆しはあるものの安保法制などきな臭い雰囲気の漂う現代とを重ね合わせたい思いがあるのだと思う。

また、事件の鍵を握る販売員・阿部は、しばしば芥川龍之介『歯車』の一節を口にする。これも原作にはない場面であるが、読者をして「この人物には何かありそうだ」と思わせる雰囲気作りに貢献しているのである。

浅草での犯行後「ABC」は嘉門に第2の犯行を予告する手紙を送ってきた。
次は、3月5日に静岡県の弁天島(Bentenjima)に「注意ヲ払ワレンコトヲ」と挑戦してくる。

嘉門が弁天島へ向わんとするところで、第1巻は幕となる。
嘉門と「ABC」との知略の戦いの帰趨が気になるところだ。



<文・廣澤吉泰>
ミステリマンガ研究家。「ミステリマガジン」(早川書房)にてミステリコミック評担当(隔月)。『本格ミステリベスト10』(原書房)にてミステリコミックの年間レビューを担当。最近では「名探偵コナンMOOK 探偵少女」(小学館)にコラムを執筆。

単行本情報

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