戦後も70年が過ぎ、やがて「歴史」へと移ろいゆかんとしている太平洋戦争。多くの記録や研究が世に出てきたが、検証を重ねてもいまなお「謎」とされていることもある。
そのひとつが、1944(昭和19)年10月に日米で行われた「レイテ沖海戦」における戦艦「大和」ほか、栗田艦隊が行った「謎の反転」だ。
いったいあの時、戦艦「大和」に、日本海軍に何があったのか――。
太平洋戦争“最大の謎"の真相が、ついに明かされる……!
戦艦「大和」副砲長・深井俊之助氏、102歳が意を決し、
戦艦「大和」反転の真相を語る!
まず、レイテ沖海戦とは、レイテ湾周辺のフィリピンをめぐって日米の陸海軍が激しく戦った、史上最大規模の大作戦のことだ。日本にとってフィリピンという場所は、石油ほか戦争遂行に必要な資源が、南方資源地帯から集まってくる窓口となる。ここを米軍に取られることは、戦争そのものができなくなってしまう。人間に例えると食糧が手に入らず飢えて死ぬ、ということだ。
しかし、米軍の大部隊がフィリピンに押し寄せてきた。そのため日本は総力をあげてこれを撃退しなければならない。その主力となるのが、戦艦「大和」を含む第一遊撃部隊・通称「栗田艦隊」であった。
この栗田艦隊が、多くの犠牲を払いながらレイテ湾口までたどりつき、すぐそこに米軍を捉えるまでの距離にたどりつきながら、別の海域に米軍の主力艦隊が見つかった、との報告に突如、反転してしまう。
しかしこの「米軍の主力艦隊」はまったくの幻で、これを伝える報告も信憑性が疑われていた。
なぜ、突入目標であるレイテを目前に反転したのか?
指揮官である栗田中将は逝去するまで真相を語らず、これまでじつに多くの検証がなされたが、ついには真相がわからないままとなっていた。
しかし、しかしである。戦艦「大和」の副砲長としてこの海戦に参加していた深井氏(当時少佐)が、複数の証拠と資料に基づき「反転の真相」を証言する。それがこの本である。
『私はその場に居た 戦艦「大和」副砲長が語る真実』
深井俊之助 宝島社 ¥1,500+税
(2016年4月7日発売)
その場に居合わせ、参謀に食ってかかり、艦隊首脳部の様子をつぶさにその眼で見た深井さんだからこそなしえる、衝撃に満ちた内容はぜひ本書をお読みいただきたいが、ある程度レイテ沖海戦を研究している読者なら「やはり、こうなるのか……」と膝を叩くに違いない。
そして、宇垣司令官の怒号だけが響く「大和」艦橋の描写に、70年前のレイテ沖を追体験することだろう。また、人命尊重の見地から反転を是とする意見も多いなか、現在も突入すべきだったとする深井さんのぶれることのない持論も注目したい。
本書はこのレイテ沖海戦における「謎の反転」を白眉としながら、現在102歳となる深井氏の海軍生活も綴る。日本海軍式の砲撃、雷撃の平易な解説、艦ごとに違う艦内生活など、当事者ならではの記述はどれも興味深い。
1945年(昭和20)年の4月7日に「大和」は沈んだ。これはくしくも本記事の公開日と同じ日である。手にするにはまたとない機会だ。
<文・松田孝宏>
フリー編集者兼ライター。最近は『最後の証言記録 太平洋戦争』(宝島社)、『日本陸軍の翼 日本陸軍機塗装図集【戦闘機編】』(新紀元社)、『太平洋戦争の記憶』(アシェット)などに参加。レイテ沖海戦は生涯のテーマです。
Twitter:@matsu_am