日々発売される膨大なマンガのなかから、「このマンガがすごい!WEB」が厳選したマンガ作品の新刊レビュー!
今回紹介するのは、『十 ~忍法魔界転生~』
『十 ~忍法魔界転生~』 第9巻
山田風太郎(作) せがわまさき(画) 講談社 ¥619+税
(2016年8月5日発売)
本書は、山田風太郎の代表作のひとつである小説『魔界転生』を、せがわまさきがマンガ化したもの。せがわは、これまでにも『バシリスク ~甲賀忍法帖~』(全5巻)、『Y十M ~柳生忍法帖~』(全11巻)、『山風短』(短編集。全4巻)といった山田作品のコミカライズを手がけており、名コンビといっても過言ではない組みあわせだ。
『十 ~忍法魔界転生~』は、三代将軍徳川家光の治世を舞台に、「魔界転生」なる秘術で甦った宮本武蔵、荒木又右衛門、天草四郎などの「魔界衆」と剣豪・柳生十兵衛三厳が戦う物語。詳しい設定などは『十 ~忍法魔界転生~』第7巻のレビューに記してあるので、そちらをご参照いただきたい。
さて、第9巻で中心になるのは、柳生十兵衛と「魔界衆」の柳生如雲斎の対決。
如雲斎は、十兵衛と同様に、柳生新陰流の始祖である柳生石舟斎の孫にあたる人物で、十兵衛としては同じ柳生一族の者と刃を交えることとなったわけだ。
祖父・石舟斎から柳生新陰流の後継者と認められたものの、如雲斎は尾張徳川家の剣術指南役として500石の禄を得るにすぎない。一方、叔父にあたる柳生但馬守宗矩は1万石の大名で、こうした“格差”に対する鬱屈した思いがあったからこそ、如雲斎は秘術により転生したのだ。
第8巻で十兵衛は如雲斎と一戦交えて、この時はお互いに右目に傷を負う相討ち。
ただし、十兵衛はもともと右目を失明しているので影響は少なかったものの、如雲斎は片目での戦いには慣れていないため、いったんは退く。
しかし、さすがは柳生新陰流の後継者、短期間で隻眼の状態にも順応し、十兵衛に再戦を挑んできた。
戦いの場は、徳川頼宣の居城・和歌山城の天守閣。十兵衛と如雲斎の戦いは「魔界衆」と行動をともにする女忍者・クララお品も絡んで、意外な展開となる。
ところで、本書は先にも紹介したとおり、山田風太郎『魔界転生』のコミカライズなのだが、原作小説と読み比べてみると、いろいろとおもしろい発見がある。
『魔界転生 下』(角川文庫)の184ページに徳川頼宣の次のようなセリフがある。
「うぬら、好きなように、十兵衛と遊んでおれ。いや、十兵衛に遊ばれておれ。
なるほど、きゃつの方がうぬらより、もっと頼りになる男かもしれぬ。
あれを殺しとうないという宗意の言葉が思いあたるのう」
これは本書でいえば16~18ページにあたる部分だが、原作小説ではただ頼宣がしゃべっているだけのところ、せがわまさきはセリフの間に頼宣の動きや、魔界衆の表情を入れたりしながら見せる場面に仕立てている。
このように原作を忠実におこして、それをマンガとしてどう魅せるか――という観点からの映像化だけでなく、せがわは原作にはない場面/セリフも盛りこみながら、本書を作りあげている。
たとえば、本書の28ページで柳生如雲斎が
「立合(こと)のおわりに笑(わろ)うておるのは この如雲斎(わし)じゃとなぁ」
と見得を切る場面があるが、これは原作にないセリフ。
そして、この見得は、如雲斎と十兵衛が戦ったあとに、天草四郎がつぶやく
「ふ・・・ たしかに 笑(わろ)うておるわ」
というセリフと照応しており、こうしたところからも、せがわの緻密な構成力がうかがえる。
原作小説がシナリオだとすれば、せがわまさきは、それをもとにカット割や登場人物の動きを考え、時にはシナリオにないアイデアを盛りこんで作品を作りあげる、監督のような立場にあるといえるだろう。
したがって、小説を傍らに置きながら、マンガを読み進めていくと「この場面は、こんなカット割になるんだ」とか、「ここで原作にない、こんなシーンが入ってくるんだ」といった楽しみ方ができるのではないだろうか。
「魔界衆」には柳生如雲斎以外にも、忍法髪切丸を駆使する天草四郎、「鍵屋の辻の決闘」で名高い荒木又右兵衛、十兵衛の実父の柳生但馬守宗矩、当代一の剣豪・宮本武蔵といった難敵がいる。
十兵衛と彼らの勝負はどうなるのか、そして、せがわまさきがその戦いをどのように描いていくのか。
今後の展開がますます楽しみになってくるところだ。
<文・廣澤吉泰>
ミステリマンガ研究家。、「ミステリマガジン」(早川書房)にてミステリコミック評担当(年3回)。「2016本格ミステリ・ベスト10」(原書房)でミステリコミックの年間レビューを担当。現在発売中の。「ミステリマガジン」9月号にコミック評が掲載されています。