つかの間の平和は数ページで終了し、今度は帝国が攻めてくる。彼らの必殺兵器はなんと巨人型兵器。騎甲虫民族を蹂躙する帝国の巨人を、もちろん泥労守が見て見ぬふりをするはずがない。ここでプロレスに続いて第二のビックリポイントが出現! 泥労守は風炉芽と一体化することで自らも巨人へと変身することができるのだ。その名も「轟羅(ゴウラ)」。まさかの巨人プロレスの始まりである。
巨人同士の戦いを風炉芽は「巨人戦争(ギガント・マキア)」と呼び、本作品の根本を言い表している。タイトル「ギガントマキア」とは、ギリシャ神話で語られる神々と巨人たちの間で行われた世界の存亡をかけた戦いのこと。すなわち今作は、巨人となった泥労守が数々のプロレス技で敵と戦い、世界を救う物語なのだ。
巨人のダメージは泥労守に直結しているが、操作性を犠牲にして痛みを緩和することもできる。だが泥労守はそれを否定。曰く「列修羅ってのは苦痛と喚声を喰らって最大の力を爆発させるっス」。巨人になっても思いっきりプロレス魂爆発である。
普通の巨人モノなら超質量と超質量の重量感あるぶつかり合いになりがちだが、なにしろプロレス要素が入っている。上下左右のスピード感あふれるアクロバット・バトルシーンが展開されるのだ。一見スピード感と重量感は相反してしまいがちだが、三浦節といっても過言ではない重厚な絵の質感でリアルに魅せつけている。
冒頭こそ絶望感漂うシーンから始まるものの、じつは今作、あまり悲壮感はなく、随所に「明るさ」を感じることができる作品となっている。巨人を倒して帝国を撃退したあとは、騎甲虫民族の復讐をよしとせず、未来に生きることを選択させるなど、ダークさはみじんも感じない。
無尽蔵の死を描きつづける『ベルセルク』とは対照的なアプローチの『ギガントマキア』。世界観こそ三浦建太郎独断場のダークファンタジーのように見えるが、その内容は暖かみに溢れた作品となっており、三浦作品から強く匂い立つ「生命」を改めて感じることができた。
タイトルにナンバリングがないように、『ギガントマキア』は読み切りの短編ということになっている。が、世界観と物語の基本をじっくりと魅せることに注力しており、まるで次巻以降が出るものと確信してしまうほどの期待が残る読了感である。なんにせよ、じつに24年…ほぼ四半世紀ぶりとなる三浦氏新作の第一巻。久しぶりに味わうこのワクワク感を止めることなどできない! それを体感できること自体、うれしさ無限大だ!
『ギガントマキア』著者の三浦建太郎先生から、コメントをいただきました!
<文・沼田理(東京03製作)>
マンガにアニメ、ゲームやミリタリー系などサブカルネタを中心に、趣味と実益を兼ねた業務を行う編集ライター。