創作への不安やコミュニケーションの問題に悩みながら一歩ずつ前進していく、夢と情熱とリビドーに満ちた青春ストーリー。
その背景には、インターネットどころか、携帯電話すら普及していなかった、1994年当時の文化状況がふんだんに盛りこまれることになる。
90年代半ばのオタクカルチャーの実情。
アニソンの豊富な通信カラオケ「X2000」に驚き、秋葉原でVHSビデオデッキを物色し、アンナミラーズでウエイトレスを眺め、大量の成年コミックが並ぶ「まんがの森」に狂喜し、山本直樹の『BLUE』(91年)に心酔する――。
そう、『BLUE』。作中で繰り返し言及される、この性=聖典。そもそも、「いちきゅーきゅーぺけ」(=「199X」)という作品タイトル自体、(ゾーニングマークも含意しつつ)『BLUE』所収の「197X」へのオマージュの意識からつけられたものだろう。
そして作品は、桜町が純平にエロマンガを描くことを誘う第5話「BLUE」において、エロを描かずにはいられない欲望の根源へと踏みこんでいく。
なぜエロマンガを読むのか。なぜエロマンガを描くのか。そのどこに魅せられてしまったのか。
その理由を、本作はただのキレイごとでは済まさない。汚く、醜い、そのいびつさをいびつさとして直視させる。
純平はいわば、ボードレールの『惡の華』を読むかのように『BLUE』に触れ、「クソムシが」と叫ぶように「ざまみろ」とつぶやくのだ。
ここに、楽しいオタクサークル青春ものだけにはとどまらない、(「いちきゅーきゅーぺけ Black Label」とでも言うべき)エロマンガを求めてしまう欲望の暗部へと向かいうるだろう、本作の射程の広さが現れ出ている。
とはいえもちろん、作品のカラーはシリアスな葛藤にばかり傾くことはなく、語り口はコミカルで、描写はエロティック、一口メモやインタビューなど90年代をめぐる時代の証言もふんだんに盛りこみ、そして何よりエロマンガへの愛にあふれる、そうした様々な魅力を兼ね備えた多面的な一作だ。
……しかし今後の展開を考えると、個人的にはやはり、その愛の合間にしかけられているだろう、(たとえるならルドン[※編集部注:オディロン・ルドン。フランスの画家。アニメ『惡の華』で彼の絵をモチーフとしたイラストが象徴的に使われていた。]の描く単眼の花の絵のように)静かにこちらを見すえる眼差しに期待してしまう。
エロマンガを愛する自分とは何なのか。
エロマンガの深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。
『いちきゅーきゅーぺけ』著者の甘詰留太先生から、コメントをいただきました!
<文・高瀬司>
批評ZINE「アニメルカ」「マンガルカ」主宰。ほかアニメ・マンガ論を「ユリイカ」などに寄稿。インタビュー企画では「Drawing with Wacom」などを担当。
Twitter:@ill_critique
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