『ふらり。』
谷口ジロー 講談社 876+税
1821(文政4)年の8月7日は、江戸時代の商人にして測量家である伊能忠敬が、俗に「伊能図」とも呼ばれる史上初の実測日本地図「大日本沿海輿地全図」を江戸幕府に献上した日である。
谷口ジローの『ふらり。』は、天体観測や測量を趣味とする隠居武士の日常生活を描いた時代劇作品。
彼が伊能忠敬その人であるとは明言されていないが、忠敬が隠居後(56歳)から本格的に測量の旅に出た点や、江戸市中を“歩く”ことによって「歩測」の訓練をする様子など、やはり主人公の姿は忠敬をほうふつとさせる。
趣味に想いを巡らせながら、江戸の各所をそぞろ歩く主人公。そのさなかに垣間見える、当時の風俗事情や自然美の緻密な描写などが、本作の大きな魅力だ。
ゆったりとした日々のなかで、一心不乱に道楽に打ち込む様は、現代社会における定年退職後のサラリーマンのようでもあり、時代を超えた不思議な共感を覚えるのがおもしろい。
物語の後半では、幕府から蝦夷地測量の命令が下り、主人公は大規模な地図製作を決意することになる。
正確な日本地図が存在しない江戸時代において、この作業が目を見張るほどの大事業なのはまちがいない。ともすれば主人公を「偉人」のようにの描いてしまいそうなものだが、主人公の名前や立場すら明かされないまま、肩肘を張らない演出を貫いて本作は終了する。
「測量」という珍しいジャンルをあつかった本作、「大日本沿海輿地全図」献上の日をきっかけに、読んでみてはいかがだろうか。
<文・一ノ瀬謹和>
涼しい部屋での読書を何よりも好む、もやし系ライター。マンガ以外では特撮ヒーロー関連の書籍で執筆することも。好きな怪獣戦艦はキングジョーグ。