日々発売される膨大なマンガのなかから、「このマンガがすごい!WEB」が厳選したマンガ作品の新刊レビュー!
今回紹介するのは、『漫画家が見た手塚治虫 ~マンガに描かれた漫画の神様~』
『漫画家が見た手塚治虫 ~マンガに描かれた漫画の神様~』
手塚治虫、藤子不二雄A、石ノ森章太郎ほか
秋田書店 ¥1,500+税
(2016年11月11日発売)
マンガの神様と呼ばれた手塚治虫。
その影響力は大きく、漫画家にとどまらず今なお様々なジャンルのアーティストに影響を及ぼし続けている。
『漫画家が見た手塚治虫』は、手塚治虫と直接親交があった漫画家たちによるマンガを集めた単行本。
藤子不二雄A、古谷三敏、永島慎二、みなもと太郎、村野守美、里中満智子、石ノ森章太郎、そして手塚治虫自身による手塚治虫についてのマンガが収録されている。
各エピソードが年代順に並べられ、読み進むと自然と手塚自身や、取り囲む環境の変化もすんなり入ってくる構成になっている。
藤子不二雄Aの「神の人の近くに」は、『まんが道』の続編である『愛…しりそめし頃に…』の一編。
「神の人」とはもちろん手塚のこと。
唯一の連載作品が打ち切られることになり落ちこんでいたところ、突然トキワ荘を訪れた手塚治虫に映画に誘われ少し気持ちが救われる。
少年の日の憧れと敬愛をずっと保ち続けた藤子Aらしい作品。
古谷三敏の作品(『ボクの手塚治虫せんせい』)は、1957年から1961年にかけて古谷が手塚のアシスタントを務めていた時代のポートレイト・コミック。
「原稿破り事件の真相」は、秋田書店の名物編集者・壁村耐三が手塚の原稿を破ったとされる伝説の真相について。
「大脱走!!」は、原稿待ちの編集者が4社もいるなか、とある理由で抜け出さないといけない脱走劇を描く。手塚番が記した「私はこれだけ苦労して原稿をもぎ取った」談は多いが、逃がした側の証言は珍しい(笑)。しかもこの時の逃亡理由がちょっと聞き逃せないのだ。
永島慎二の「ぼくの手塚治虫先生」は、永島が手塚に借りた1957年の借金のこと。
永島は1964年に虫プロダクションに入社し、ボーナスで手塚に借金を返却している。
みなもと太郎の「限りなく長い1時間…半?」は1971年、パーティー会場で手塚に声をかけられ高級クラブに連れていかれた話。当時新人漫画家だったみなもとの『ホモホモセブン』をパロディで自作に登場させるなど、ベテラン・若手のわけへだてなく、手塚がマンガシーンの最先端に常に目を光らせていたことがうかがえる。
村野守美の「手塚治虫は猛犬たちを手なづける」は1977年、24時間テレビの『バンダーブック』の手伝いに駆り出された思い出を描いた作品。
里中満智子の「わたしがひとりじめした手塚先生との三時間余!!」は1973年、大阪でのサイン会に移動する新幹線ですごした3時間あまりの体験を描く。
石ノ森章太郎の「風のように…」は、手塚治虫との思い出を描いた追悼マンガ。
テヅカの『新宝島』と出会って以来背負ってしまった“オサムシ”が、マンガに心揺すられるたびにザワつく。「COM」に連載した『章太郎のファンタジーワールド ジュン』をめぐる2人の確執についても描かれ、最後には石ノ森が提唱した「萬画」宣言も書き記されている。
手塚治虫の「がちゃぼい一代記」は、自身の半生を振り返った自伝的マンガ。
戦後の混乱期に出会ったルンペンのような風体の"マンガの神さま"と、のちに"漫画の神様"と呼ばれる手塚が漫画家を目指して歩み始める……という構図がおもしろい。
巻末には「わたしが見た手塚治虫」と題し、さいとう・たかを、松本零士、水野英子、三浦みつる、堀田あきお、辻真先、二階堂黎人、手塚眞、松谷孝征らのショートエッセイも収録。
藤子不二雄Aが巻頭言で述べているとおり、もし手塚治虫が存在しなかったら別のジャンルへ進んだであろう若き才能たちが触れた神様の横顔は人間味にあふれていて、とても魅力的だ。
<文・秋山哲茂>
フリーの編集・ライター。怪獣とマンガとSF好き。主な著書に『ウルトラ博物館』、『ドラえもん深読みガイド』(小学館)、『藤子・F・不二雄キャラクターズ Fグッズ大行進!』(徳間書店)など。構成を担当した『てんとう虫コミックスアニメ版 映画ドラえもん 新・のび太の日本誕生』が発売中。4コマ雑誌を読みながら風呂につかるのが喜びのチャンピオン紳士(見習い)。