『ナツノクモ』第1巻
篠房六郎 小学館 \562+税
いま「ネットゲーム」と言えば、なにを思い浮かべるだろう。
『パズル&ドラゴンズ』に代表されるスマートフォン用アプリか、あるいは『艦隊これくしょん』のようなブラウザゲームか。コアなゲームユーザーであれば『バトルフィールド』や『コール オブ デューティ』といったFPS(一人称視点のシューティングゲーム)の名前を挙げるかもしれない。
しかし、一時代前のオンライン・ゲームの花形は、間違いなくMMORPG(大規模多人数RPG)であった。現在でも『ファイナルファンタジーⅩⅣ』や『ドラゴンクエストⅩ』が好評を博しているが、MMORPGの草分け的な存在といえば『ウルティマ・オンライン』にほかならない。
プレイヤーは自身の分身となるアバター(プレイヤーが操作するキャラクター)をつくり、サーバー上に構築された中世ヨーロッパ風の仮想世界で生活を営み、他プレイヤーとパーティを組んで冒険をしたり、物品のやり取りをしたり、土地や家を取得したり……。それはまさしく「世界」であった。
世界中のゲームユーザーが熱狂し、これ以降、さまざまなMMORPGがリリースされるようになった。『ウルティマオンライン』は、ゲーム史に大きな足跡を残したのだ。
発売元のエレクトロニック・アーツ株式会社は、日本国内における『ウルティマオンライン(英語版)』の発売日(1997年10月17日)を記念し、この日を「オンラインゲームの日」に制定した。
MMORPGはゲーム世界が広大で、やれることが無数に用意されており、終わりが存在しない。ありていに言えば「そこに暮らす」ことが目的といえるだろう。したがって、ユーザーのゲーム接続時間は異常に長い傾向にある。
それだけ長時間いっしょにプレイしていれば、その最中にユーザー同士がチャット機能で会話をしたり、相談をしたり、次第に交流を深め、新しいコミュニケーションを形成していく。そしてゲームのおもしろさと比例するように、不眠不休でプレイし続ける「廃人」が生まれ、社会問題にもなった。これがMMORPGの負の側面だ。
篠房六郎『ナツノクモ』は、架空のMMORPGを舞台とした作品である。作中の登場人物は、バイクのフルフェイス・ヘルメットのようなヘッドマウントディスプレイで顔を覆い、両手に操作用のグローブを装着し、「ボード」と称されるゲーム世界に没入する。
このマンガに登場する人物は、ゲーム中の外装(アバター)なのだ。『ウルティマオンライン』的な仮想世界(中世ヨーロッパ風の「剣と魔法の世界」)が生き生きと描かれる一方で、たまに挿入される現実世界はラフに描写される。その対比にも注目したい。
「ボード」のゲーム世界には、カウンセリングを目的としたゲーム内コミュニティが存在する。ゲーム内屈指の凄腕プレイヤーである主人公コイルは、このコミュニティで精神科医のカウンセリングを受けつつ、とある仕事を裏で請け負っていた。それは、特殊な方法を用い、「廃人」を現実(リアル)に戻す「戻し屋」という稼業だ。
そんなコイルのもとに、あらたな依頼が舞い込む。内容は、セラピーを目的としたコミュニティ「精神動物園」を3週間守ること。「精神動物園」の存在するサーバーを運営していたGM(ゲームマスター)は重度のゲーム廃人で、現実世界では肉親を殺害して逮捕されてしまったのだ。
残された「精神動物園」の住人たちは、炎上や晒しや祭りが好きな物見高いプレイヤーたちから、サーバーの契約が切れるまでの3週間、自分たちのコミュニティを守るようにコイルに依頼してきたわけだ。主人公コイルや「精神動物園」の住人たちが心の傷と向き合っていくドラマと、ファンタジー世界ならではのド派手なアクション・バトルが同時に展開し、多層的な物語を織り成していく。
たかがゲーム、である。接続を切れば、それっきりの関係にすぎない。しかし、ともに戦い、ともに笑い、ときに傷つけ合った仲間たちのあいだには、「絆」と呼ぶにはあまりに脆弱だが、しかしそこにはたしかに情緒的な結びつきがあった。
MMORPGの持つ可能性と危険性、功と罪の両面をまざまざと見せつけた傑作である。
今日もオンラインの仮想世界では、無数のプレイヤーが〝隣り合わせの灰と青春〟をアップデートしている。
<文・加山竜司>
『このマンガがすごい!』本誌や当サイトでのマンガ家インタビュー(オトコ編)を担当しています。
Twitter:@1976Kayama