『ちばてつや漫画館』
ちばてつや KADOKAWA \2,000+税
1945年に日本が無条件降伏を受けいれると、中国および旧満州地域には多くの日本人が残された。
翌46年の5月から帰還事業が始まるのだが、在留邦人はコロ島まで移動し、そこから引揚げ船で日本に帰ることになった。
その後、何度かの大規模な引揚げが実施されたものの、実際に祖国の地をふむことができたのは、自力でコロ島にたどりつけた者にかぎられる。
そして、ソビエト連邦の捕虜となった軍人は、シベリアへ送られて強制労働をさせられた。このあたりのことは、おざわゆき『凍りの掌』に詳しい。
やがて中華人民共和国が樹立されると、GHQ管理下の日本政府との国交は断絶し、引揚げ事業も中断されてしまった。
しかし1953年3月5日、中国側(中国紅十字会)と日本側(日本赤十字社、日中友好協会、日本平和連絡会)が折衝を重ねた結果、日本人居留民帰国問題に関する共同コミュニケ(北京協定)が発表され、集団引揚げが再開されることになった。
本日3月5日は、引揚げが再開された記念すべき日なのである。
漫画家のなかにも引揚げ者は数多い。その代表がちばてつやだ。『あしたのジョー』や『のたり松太郎』などで有名な、日本を代表する漫画家のひとりである。
6歳のときに満州で終戦を迎えたてつや少年は、コロ島を目指し一家で逃避行を続けた。
そのときの様子が描かれている自伝エッセイマンガが、『屋根うらの絵本かき』である。
4人の子ども(長男がちばてつや)を抱えたちば一家は、道中で難儀していたところ、父の中国での友人・徐集川氏の家にかくまわれることに。日中、外に出られないてつや少年は、弟たちのヒマつぶしのために絵本を描く。
これが漫画家・ちばてつやのルーツであった。
ちなみに、作中の屋根裏部屋でハイハイをしている三男が、ちばあきお(漫画家、代表作に『キャプテン』や『プレイボール』など)であり、母に背負われている赤ん坊の四男が七三太朗(漫画原作者、代表作に『風光る ~甲子園~』、『Dreams』など)だ。
徐氏の協力もあって、ちば一家は1946年と、かなり早い時期に日本に帰還できた。
おかげで日本のマンガ界は、ちば兄弟という偉大な才能の恩恵を享受できたのである。
<文・加山竜司>
『このマンガがすごい!』本誌や当サイトでのマンガ家インタビュー(オトコ編)を担当しています。
Twitter:@1976Kayama