日々発売される膨大なマンガのなかから、「このマンガがすごい!WEB」が厳選したマンガ作品の新刊レビュー!
今回紹介するのは、『誰でもないところからの眺め』
『誰でもないところからの眺め』
いがらしみきお 太田出版 ¥1,200+税
(2015年9月11日発売)
舞台は東日本大震災から数年が経った東北のある町。すっかり平穏を取り戻したかに見えた住民の間で、くすぶっていた小さな恐怖や不安は、やがてある異変を引き起こしてゆく――。
「まだ揺れてるよ」「逃げないと」「幸せだけどオレこれでよかったのかなあ」
自分でも気づかないうちに染みのようにじわじわと広がってゆく不安。
何かに侵蝕され、自分が自分でなくなっていく恐怖は、楳図かずおから黒沢清までが描いてきたホラーの定番テーマであり、もっといえば「自分」という概念に対する根源的な恐怖や懐疑だ。
「自分とは何か?」というテーマは、これまでにも著者の既刊『かむろば村へ』や『I(アイ)』で幾度となく触れられてきたものだが、本作の場合は舞台が寓話的な村ではなく「震災後の東北」ということもあり、半端でないリアリティが漂っている。
例の震災後、一部の人々は本能のままに恐怖し、なりふりかまわず逃げ出そうとパニックになったが、大半の人々は「郷土愛」ゆえか、「家や仕事といった生活のしがらみ」ゆえか、恐怖や不安をおし殺し、平静さを保ったまま、現在も同じ場所に留まり続けている。
本作が描いているのは、つまり、そんな現在の私たちが生きる世界そのものだ。
家族、友だち、仕事、財産、名声……。「私」を私たらしめている様々なものは、本来はあくまで「私」の付属物だったはずだが、現代社会ではそれらなしには「私」ではいられなくなってしまった。
だからこそ、私たちはそれらを喪失する不安や恐怖を抱え、がんじがらめになってしまっている。その不安や恐怖から逃れるには、もはや「私」を捨てるよりほかない――。
本作のラストで描かれる、特定の場所や社会に属さず、車で移動しながら生きる「遊動民」は「私」を超えた、あらゆるものから解き放たれた存在だ。
それが「正解」なのかどうかはわからないが、ラストシーンの“誰でもないところからの眺め”は、前半の不穏さとは打って変わって、やけに清々しく胸に残る。
読み終えることが「ゴール」にはならない。むしろ、読者としては大きな荷物を新たに背負いこまされたような、ズシリと重い一冊だ。
<文・井口啓子>
ライター。月刊「ミーツリージョナル」(京阪神エルマガジン社)にて「おんな漫遊記」連載中。「音楽マンガガイドブック」(DU BOOKS)寄稿、リトルマガジン「上村一夫 愛の世界」編集発行。
Twitter:@superpop69