じつは根っこに持っていた 「少年マンガ」への思い入れ
――漫画家になると決めたのがけっこう早かったようですが、投稿もわりと早くから?
阿部 10代から投稿してましたけど、本当に独学で。初めの頃は、定規は使わないし、サインペンで描くしみたいなひどいもので、マンガらしいかたちで描けるようになったのはだいぶあとですね。最初は某少年誌に送ってて、途中で作風的なことを考えて月刊青年誌系とかに送るようになったんですが……まぁ本当になめくさったデキで当然ダメでした。
――作風はどんな感じでしたか?
阿部 『空が灰色だから』に近いようなのが多かったと思います。
――投稿時代、なにか転換期のようなものはあったのでしょうか。
阿部 途中でニートになって、ネトゲやってはダラダラしてたんですが、さすがにそろそろマジメに出版社に投稿しなきゃって感じで……いろいろ考えた末に「週刊少年チャンピオン」に。
――投稿先はどのような観点で選んでいたのでしょう?
阿部 一時期、作品が少し暗い内容なので、青年誌のほうが合うのかなと思っていたんですが、その時になんとなく『帯をギュっとね!』(河合克敏)[注9]を読み返したら、めちゃくちゃキャラが騒がしくて楽しそうでかわいらしくて、やっぱこういうキャラマンガっていいなあって思って。週刊少年誌自体にやはり憧れがあって、もう一度投稿先を少年誌にしてみようって思いました。その頃には、絵もある程度はマシになってたのもあって投稿作が二次選考かなんかに残って、初めて担当編集者がついて。今思うとガタガタなデキの投稿作ですが、けっこう自分の自信あるポイントをほめていただいて、すごくうれしかったし自信にもなりました。そのあとに新人賞に入賞してデビューが決まって、って感じです。
――「少年誌でいこう」と決めた時に、なにか意識したことはありましたか?
阿部 これはほかにもいろいろなタイミングがあってのことですが、なぜか、「チャンピオン」に投稿する前までは、自分の作品にギャグやコメディ要素を入れてはダメだって固定観念がありました。そのせいで、かなり堅苦しい、気取った内容になってたと思います。そりゃあ落ちますよね。
- 注9 『帯をギュッとね!』 1988年から1995年まで「週刊少年サンデー」(小学館)にて連載された河合克敏による柔道マンガ。柔道部のない高校で5人の少年たちが柔道部を作り、全国大会を目指すというストーリー。それまでの柔道マンガにはなかったギャグを交えたストーリーが人気を博し大ヒットした。