想いが次々にあふれ出して、描くことがつらかった……
――しかし、日高先生はホントにすごく変わった人ですよね。
東村 檸檬ちゃんともそう言うんです。「ほかにあんな人、会ったことないよね」って。ウソはつかない、おべっかはつかわないし、社交辞令も言わない。
――そして、人に対して疑いを持たないのもすごいですよね。おなかが痛いとウソをついて絵画教室を早退した東村先生をおぶっていくところとか。
東村 先生のなかには、決定的に真実がドンとあってそこからブレない。
それは芸術を紡ぐ人だからだと思うんですけど。アーティストがおべっかなんて使ってたら意味ないですよね。でも、現代ではクリエイターって、どうやって商業的に成功するかに長けてる人が強いじゃないですか。それはそれで、こういう時代だからしょうがないんですけど……。
でも、時代にはあわないかもしれないけど、そういう才を持った人よりも先生のほうが高貴というか、人間としてのステージが明らかに高い気がするんですね。
――ある種、悟りを開いた人みたいな感じでしょうか。
東村 それに近いですね。でも、田舎で芸術に打ちこんでいる人って、東京コンプレックスを持っていたりしがちなんですが、先生にはそれもなくて。「おまえ、こんな田舎で描いとってもしょうがないぞ」って言っちゃうんです。「宮崎から発信するのが大事」みたいな考えは持ってないんですね。
――読めば読むほど希有な人だなと。東村先生が受験前に、あやしげなダウジング特訓に精を出しているのがバレた時、怒るかと思いきや怒らなかったり。信念はあっても固執はしない、柔軟な方ですよね。
東村 本物はもっとド直球で強烈です。
みんなでお弁当食べてる時に、先生の飼ってる猫がつまみ喰いしたら、その瞬間猫をつかまえて数メートルぶん投げたりしたこともありました。ひどいですよね……(笑)。
――えっ、先生がすごくかわいがってる猫ですよね?
東村 そうです。
――もしマンガに描かれると、これはマンガ的表現かなと思っちゃいそうですね(笑)。
東村 学校の非常勤講師をやっていた時の武勇伝は、ほかの人からも聞きましたね。石をまいてヤンキーOBを追っ払ったり、言うこときかない生徒はボッコボコにしたりとか。でも、やめる時は生徒からすごくたくさん手紙をもらってて。
――ドラマに出てくる熱血教師みたいですね
東村 それこそ『GTO』[注4]を地で行くような。
――もとはといえば、東村先生のこれまでの漫画家人生を振り返るマンガで、ここまで日高先生のことをメインで描くことになると思っていましたか?
東村 いえ、描いているうちに先生のことばかりがどんどんあふれてきちゃって。描かないと見えなかったことが見えてきてしまって、結局は懺悔というか……先生への私信みたいになったのは予定外で、こっぱずかしいなと思ってしまうんです。
――そこが読者がひきつけられる理由でもありますが。
担当 (「ココハナ」) 東村先生はネームをやるのがつらいとおっしゃってましたよね。だからできるだけ短期間で仕上げると。
東村 ホントにこの作品はすごいスピードでやってましたね。それくらい思い出すのがつらかった。特に大学時代のモラトリアムぶりは、いっしょの油絵科の子にも「読んでるとしんどい」と言われるくらい。
――そこも多くの読者が共感するところでは。懐をえぐられます。日高先生が乗りこんでくるところは、身が縮むような思いですよ。まあ、普通は飛行機に乗ってまで様子を見に来る人はいないですが。
『かくかくしかじか』を描いた今、漫画家になってよかったと胸を張って言える
東村 出産以来のやりきった感、でした。
これを始めてからの何年間かはズシッと重くのしかかるものがありましたから。これを描いたことで、先生が亡くなってからお墓参りもしてないし、東京に来てしまった……そういう私が私なりに先生にメッセージを送れた。20年越しだけど、先生の言ってることを全部理解して、やっと今自分のものにできたかなと。
これまで全部から逃げていたことに向き合えて、完全に先生の教え子として完成した気がするんです。最終回を描いた時、先生の教えを全部やっと吸収したと思えました。
――漫画家人生のなかで、東村先生にとっても意味の大きな作品になったんですね。
東村 描いてよかったです。日高先生と道は違えど、私の道はこっちだった、漫画家になってよかった、と確信できたし。パンドラの箱を開けて、そこからドロドロしたものがいっぱい出てくるのが怖かったけど、それを出し切って箱を1回空っぽにできた。そこに今度、先生から習ったものを新しく詰めこんでいける感覚を得ています。
これが漫画家としての“集大成”になってしまうじゃないかと言われたりもしましたが、そうではなくて。マンガを描くことのわだかまりを消化して、ここからまたいくらでも描いていける気持ちになれたんです。
――はるな先生はどんなご感想を?
東村 大号泣で涙が止まらないって、いつも言ってました。最終回のあともすぐにメールが来て「泣いて泣いて涙が止まらないです」って。それから「私もマンガ描こうと思います」と。
――終盤は読んでいると、じっとしてはいられない気持ちにさせられます。
東村 後半は、作業中、アシスタントさんも泣きながら作業してることが多かったですね。編集さんも、ネームを読みながら泣いてて。
担当 編集部内でも、校了紙を回して戻ってくると涙のあとで紙がベコベコになってたりしました。
――『かくかくしかじか』を描く前と、何か変わったことはありますか?
東村 東京の風景が変わって見えるようになりましたね。以前は、東京はきらびやかでひたすら楽しい街に見えてましたけど、今はちょっと違う。
『かくかくしかじか』には、東京の風景も宮崎の風景もたくさん出てくるんですけど、今見ると、前とはずいぶん変わった感じで見えて、なんだか不思議です。
――たとえば東京に関していうと、憧れのフィルターなしに見えるようになったということでしょうか。どちらもフラットに見えるようになった?
東村 そんな感じかもしれません。「東京=夢いっぱい」という感じじゃなくなりましたね。かつては「みんな、夢は叶うよ」と言ってくれる街に見えてた気がします。今は、もがかないと乗り越えられないということがわかって。少し悟ったのかもしれません。
――『東京タラレバ娘』もですが、『かくしか』を若いうちに読める読者は幸せだと思います。
東村 特に美大受験を考えてる人にはぜひ読んでほしいですね。
――では、最後に読者へのメッセージとこれからの抱負をお願いします。
東村 「このマンガがすごい!2015」オンナ編に2作品ランクインするなんて、ホントに光栄です。
ランキングとか気にしないっていう先生もいるかもしれないですけど、私はすごく気にするほうで。小学校の時から賞状とかもらうと全部家に飾るタイプなんです(笑)。こういうわかりやすいかたちでほめていただくのがすごく原動力になっているので、時の運もあると思いますけど……とてもうれしかったです。
あと10年……毎年ランキングのはじっこでもいいから入っていられるように、10年はハイペースで描き続けていこうと思ってます。それで走ったまま倒れて死んだとしても私の本望なので。描きたいものはいっぱいあるので、休まず描き続けていきます!
(一同拍手)
- 注4 『GTO』 1997年2号から2002年9号まで「週刊少年マガジン」にて連載された、藤沢とおるによるマンガ。元湘南の走り屋の熱血教師・鬼塚英吉が、着任した学校に巣くう問題を型破りな方法で解決し生徒たちと信頼関係を築いていく、というストーリー。1998年には反町隆主演でテレビドラマ化、翌年にはアニメ化、映画化もされるなど大ヒットした。
取材・構成:粟生こずえ