落語シーンでの 演目の選び方
――この『昭和元禄落語心中』の世界では、定席(じょうせき)[注4]の寄席は、すでに1カ所しか残されていません。現実の世界では、都内には4カ所の寄席[注5]があります。
雲田 そうですね、落語の世界はひとりの影響がすごく大きい世界です。桂米朝師匠(三代目)[注6]や、柳家小さん師匠(五代目)[注7]はお弟子さんもたくさん取られましたけど、もしああいった方々がいらっしゃらなかったらどうなっていたか? 戦後、上方落語家さんは、ひどい時には数人にまで減ってしまったそうですし。
――本来、そうやって後進を育成しないといけない立場だった八雲師匠が、弟子を取らなかった。それで、現実よりもはるかに落語が廃れているんですね。「八雲の死=落語の死」みたいな、落語ディストピアの世界。
雲田 そうですね。
――現実とは異なる戦後芸能史なので、いわば昭和の大名人が作ったギャグやサゲ(オチ)は使えない。そうなると、作中に出す落語も、選ぶのがかなりたいへんになると思うんです。
雲田 いろいろ読み比べたり聞き比べたりして、できるだけスタンダードなものをチョイスしています。癖の強すぎるものは選ばず、クスグリを混ぜたり、誰々の型、というのを特定しにくくしようと努めてます。そのうえで、江戸弁が心地いい落語を描きたいので、そういうのを選んでます。本当に聞き心地がよいところは誰も変えないので、ありがたいんです(笑)。
――だいたい1話に演目ひとつ入りますが、どういう基準で選んでいるんですか?
雲田 キャラクターの心情に合うような噺を選ぶようにしてます。できるだけストーリーと噺をシンクロさせるように。そのほうが読者さんも落語を感情移入して読んでいただけると思いました。ただ、選ぶのはたいへんですね。ネームでは、最後までそこだけ決まらず、白いまま提出……ということもたびたびありました。
――ページ数だけ確保しておいて?
雲田 そうですね。重い噺は10枚以上費やすこともあって、軽めの噺だと3枚なんです。軽い噺の方がむしろ決まらないんですよ。
――ストーリーが進むにつれて、だんだん大根多(ネタ)ばっかりになってきますしね。
雲田 どうしても話が込み入ってくると軽い根多ができなくて、寂しいですね。9巻で八雲さんが「たちきり」[注8]という大根多をかけるシーンがあるのですが、噺のなかに出てくる芸者の名前が小糸というんです。「たちきり」がお得意な桂米朝師匠は、小糸の名前で演ってらっしゃいます。でも調べてみると、文楽師匠が「小夏」という名前で演ってらして、他にも東京では「美代吉」で演るバージョンもあってちょっと怖くなりました。他にもいくつかパターンがあるみたいですけどね。
――それは驚きますね。
雲田 偶然だったんですけど、びっくりですよね。
――高座のシーンって、基本的には座布団の上から動かないわけですから、動きを表現するのがたいへんじゃないでしょうか?
雲田 そんなにたいへんだと思ったことはありません。主に表情の変化で表現してみております。マンガって、小さな表情の差を描くのに適していると思うんです。眉毛をひとつ、ピクッと動かす事も簡単に表現できます。落語も眉ひとつ動かすだけで笑えたりするので、そういったところがマンガと相性がいいんじゃないかなと思っております。
- 注4 定席 いつでも落語や演芸などの興行が行われている演芸場のこと。
- 注5 都内には定席の寄席が、新宿末廣亭のほか上野鈴本演芸場、浅草演芸ホール、池袋演芸場の4軒ある。
- 注6 桂米朝師匠(三代目) 人間国宝にも認定された戦後の落語界を代表する落語家のひとり。大戦後滅びかけていた上方落語を復興させ「上方落語中興の祖」ともいわれる。2015年3月に肺炎で死去。享年89歳。
- 注7 柳家小さん師匠(五代目) 落語家として初めて人間国宝に認定された人物。巧みな話芸と豊かな表情で人気を博し、1980年代の落語界のスターだった。
- 注8 「たちきり」 古典落語の演目のひとつである人情噺。