人気漫画家のみなさんに“あの”マンガの製作秘話や、デビュー秘話などをインタビューする「このマンガがすごい!WEB」の大人気コーナー。
今回お話をうかがったのは、眉月じゅん先生!
感情表現が少ないクールな17歳の女子高生・あきら。そんな彼女が好意を寄せるのは、たまにチャックが開いていたり、後頭部に10円ハゲもある冴えない45歳のオジサン、バイト先の店長・近藤正巳。そんな28歳の年齢差のある2人が織りなす、ド直球の純愛を描いている『恋は雨上がりのように』。 若さと純粋さで店長に好意を寄せるあきらと、想いを寄せられた店長の心のゆれを描いた描写が、男性・女性の区別なくさらに幅広い世代の心をガッチリ掴み、見事『このマンガがすごい!2016』のオトコ編4位にランクイン! 今回、最新単行本6集発売直前の時期に、著者の眉月じゅん先生へのインタビューが実現。インタビュー第1弾では『恋は雨上がりのように』を描くにあたって、あきらや店長への思いや、もととなる作品についてなど、本作を深く読み解くためのポイントをお聞きしました。 <インタビュー第1弾>
インタビュー第2弾では、影響を受けたマンガ、意外な漫画家さんのアシスタントをしていたお話、さらに今後描いてみたい作品など、先生について、よりパーソナルかつマニアックな部分をお聞きしていきます。さらに『恋は雨上がりのように』の気になる今後の展開や結末についても……!?
【インタビュー】眉月じゅん『恋は雨上がりのように』 世のおじさんたちをキュンキュンさせる淡い恋物語の原型は『羅生門』!? 幅広い世代に共感を呼ぶ『恋雨』が生まれた秘密に迫る!
いつも心にある「りぼん」魂
――子どもの頃はどんなマンガが好きでしたか?
眉月 小学生時代は、「なかよし」(講談社)も読んでましたが、断然「りぼん」(集英社)派でしたね。『ちびまる子ちゃん』(集英社・さくらももこ)、『赤ずきんチャチャ』(集英社・彩花みん)……谷川史子先生のマンガも大好きでした。なかでも、ドハマりしたのは矢沢あい先生の『天使なんかじゃない』(集英社)。これは私が初めて、雑誌で連載1話から最終話まで読んだ作品でもあります。わりと最近、改めてコミックスを買いなおしたんですけど、これこそが自分のルーツだと……。
――影響を受けてると思いますか?
眉月 相当影響されてます! 当時、ノートに描いて友だちに見せてたギャグマンガでも、矢沢先生っぽい描き文字を真似したり。笑い声の入るタイミングとか。キャラたちがワイワイやってるあのノリが大好きで、あんなマンガを描きたいと憧れましたね。キャラがそれぞれ立ってて、自分の言葉でしゃべってる。フキダシ外のちょっとしたやり取りもいきいきしてて、矢沢先生のサービス精神とエンターテイメント魂のすさまじさを感じます。
──コマの隅々まで楽しさが詰まってますよね。
眉月 著者が楽しんで描いているのもビシバシ伝わってきます。楽しさを読者に届けたいという想いで、画面が輝いてるんですよ。私も自分が楽しんで描くことを大事にしたいと思っています。原稿にこめる念は絶対に画面に現れるし、読者に伝わると思っています。だから、今、ペンを持つ時は必ずなんらかの感情をこめることを意識してますね。気持ちを無にしてもいいのは制服のトーン貼りくらい。小物も手を抜かないようにしています。
──なるほど。そういえば、あきらのお部屋、かわいいですよね!
眉月 あきらの部屋を描く時は、「りぼん」を眺めながら胸をときめかせてた気持ちを思いおこしながら描いてます。私の一番好きな作業は、仕上げのトーン貼りが8割方終わったあとに、遊び気分でデコることですね。必要なものは貼ってあるけど、さらにかわいく楽しくする……時間に余裕があるときしかできないですが(笑)。たとえば、背景のトーンに三角模様を足すとか。
──中学・高校時代も少女マンガを中心に読んでいたんですか?
眉月 それが中学の頃、深夜アニメを入り口にわりと青年誌系のマンガをよく読んだり観るようになって。一番ハマったのは『多重人格探偵サイコ』(KADOKAWA・大塚英志/田島昭宇)。それから『ベルセルク』(白泉社・三浦建太郞)とか。『お茶の間』(講談社・望月峯太郎)も、矢沢あい先生の作品と並んで、私にとっての理想のマンガのかたちです。コメディとシリアスのバランスが絶妙で。ちなみに今は『僕のヒーローアカデミア』(集英社・堀越耕平)が好きです。
──急に少女マンガ離れしましたね。
眉月 少女マンガを離れたわけでもないんですよ。高校時代は母の影響で、くらもちふさこ先生、大島弓子先生、山岸凉子先生のマンガが大好きになりましたし。両親ともマンガを読むほうなので、父の本棚からは、つげ義春先生とか『AKIRA』(講談社・大友克洋)とか。自分では『ハッピーマニア』(祥伝社)、『ラブマスターX』(宝島社)など安野モヨコ先生の作品も。
マンガを幅広く読みすぎたせいで進路に迷走!?
──その頃は、マンガは描いてなかったんですか?
眉月 描くより読むほうでしたね。小学生の時にはもう、はっきりとマンガ家になると決めて。
──マンガ家になると思いたったきっかけはありましたか?
眉月 うーん……漠然とした話なんですが、『天使なんかじゃない』を夢中になって読んでいた当時、マンガというものにものすごい魅力と熱を感じてたんですね。それで、いつのまにか「マンガでお金を稼いで生活したい。マンガで生きていくんだ」と……。人にはいわなかったです。子どものいうことだし「はいはい」って流されるだろうし、いう必要もなかった。とはいっても、ただ楽しくノートに描いてるくらいで、マンガ修行に勤しんでいたわけでもないんですが。
──読むのも修行のうちですよね。
眉月 ところが、中学から読むマンガの方向が広がったために、自分の描きたいマンガがどういうジャンルかわからなくなってしまったんです。それで何年も迷うことになりました。
──そして、最初に原稿用紙に描いたのが、「ちばてつや賞」に投稿した『羅生門』のまた前身(=『恋は雨上がりのように』の母体)というわけなんですね。
眉月 でも、結局それはどうしていいかわからなくて、引き出しに入れっぱなしになるわけです。そんな頃、集英社の「金のティアラ大賞」が立ち上がって。当時「コーラス」(集英社)を愛読していたので、いちおう少女マンガっぽい作品を描いて送ったところ銅賞[注1]をいただいて。『別冊コーラスSpring』(集英社)でデビューできたんです。
──初投稿で入賞ですか! どんな作品だったんですか?
眉月 魔女が人間界の男の子に恋をして、その子につくしまくるコメディです。2ページの見開きで1話なんですけど、続けて読むとストーリーマンガになっている形で。当時アシスタントをしていたしりあがり寿先生の『ゲバラちえ子の革命的日常』(中央公論新社)という作品に影響を受けたんですが。
──ここでしりあがり寿先生の名前が出てくるとは、また意外な!
眉月 しりあがり寿先生のマンガは小学生の時から読んでました。ご縁で、しりあがり寿先生のアシスタントをしていた時期があったんです。それがちょうど『ゲバラちえ子の革命的日常』を連載されていた頃で、背景から色つけまでの仕上げを10回くらいさせていただきました。
──やっぱりというか、直球の少女マンガではなかったんですね。このあと、青年誌のほうに舵を切ったのはなぜだったのでしょう。
眉月 女性誌に必要不可欠な若くてカッコいい男の子が描けなかったことが一番の理由です。くらもち先生の描くカッコいい男の子とか大好きで……読むのは好きなのに、どうしても自分では生み出せなかったんです。絵はともかく、内面も魅力的なイケメンを掘り下げきれなかったと思います。それで、青年誌にチャレンジし直そうと。
- [注1]金のティアラ大賞第1回銅賞『さよならデイジー』 金のティアラ大賞サイトで現在も読むことができます。