代表キャラクター「仮面ライダー」の根底にあるものが「改造人間の哀しみ」といわれるように、石ノ森が「救いのなさ」のなかに描いてきたものは常に「人間の哀しさ」であった。もちろん本作でも様々なかたちの「哀しさ」が描かれている。
そして、その悲哀に時として激しくブーストをかけるのが、主人公の片割れである市。普段はむしろ飄々とニヒルな面持ちで生きる市が、一度ならずたびたび噴出させる盲目であることの哀しみと激しい苦悩。そのハンデと引き換えに、生きるための手段として手に入れた居合斬りの凄腕は、人ならざる者へと転じた代償に仮面ライダー/本郷猛が手にした超人的な力となんら変わりないのである。
ということが、今回の傑作選で表題作を飾った「刻(とき)の祭り」を読むとよくわかる。
「刻の祭り」の話は、島抜けを図った極悪囚「鬼道組」の3人が、かつて自分たちを捕らえた佐武に逆恨みを抱き復讐を目論む内容で、本作のなかではかなりページ的にボリュームのあるエピソードだ。
舞台も江戸から佐武の故郷・甲州に及び、その生い立ちも描かれる一大娯楽編となっているが、注目すべきは佐武が逆恨みされることになった過去の回想シーンだろう。
「鬼道組」は、盲目、片目、片腕、片耳&疵顔(スカーフェイス)など「体の不自由な連中ばかり集まっている」(by佐平次親分)盗っ人の一味。彼らは五体満足な者への呪詛を吐き、盲目で腕の立つ市を自分たちの仲間に引き入れようとするのだが、市は境遇を同じくしながら体ではなく心が捻じ曲がった彼らを拒み、徹底的に断罪する。
市のニヒルな態度は、己の弱さ、哀しみを内に秘め、永遠の闇のなかで道を外れることなく歩き続けるための処世術だ。その果てに、人の業や闇を見抜き、心の機微を悟り、己の哀しみを不敵な笑みに隠し、救いようのない浮世の鬼を切り捨てる。その、佇まいは最高にクールだ。市の見えない目には、間違いなく人の何たるかが見えている。
ということが、今回もう1冊刊行された傑作選の表題作「闇の片脚」を読むとよくわかる。というか、平たくいってどの収録作を読んでもよくわかる。
そして、何よりも『佐武と市捕物控』を読めば、漫画家・石ノ森章太郎のなんたるかがよくわかることは間違いないので、未見の読者はぜひ、この機会に一読していただきたい次第(←結局最後はただの宣伝)。
<文・麹町六郎>
石ノ森章太郎原理主義ライター。好きな石ノ森作品は全部。特に好きな作品は『流れ星五十三次』と『番長惑星』。