また、この著者の名前を知っていれば、自身の発達障害によるつらい体験や、壮絶な人生経験をもとにした赤裸々なエッセイの人、を思い浮かべるであろう。
『透明なゆりかご』ではそういった本人の特性に触れつつ、おおむね淡々と産婦人科の光景を描いている。
表向きはまだまだ出産=おめでたい、とされているものの、少子化、虐待の大きなニュースだけでなく、ベビーカーやマタニティーマークへの批判、ママ友の問題などなどの情報が毎日のように飛び交っている。
著者は母性に対して疑いを持ち、世話をする赤ちゃんをかわいいと思うことはあっても、自身が子どもを持ちたいと切望しているわけではない。1巻で廃棄時に使う透明なケースに入れられた、中絶された胎児を「綺麗だ」と表現する高校生の「×華ちゃん」の感性は、もしかしたら多数派にすらなりつつあるかもしれない、本音では子どもを持つ意味を見いだせない人々と同じ温度だろうか。
「生命」は混沌とした「性」から生ずるもの。「道徳」や「常識」などと切り離して考えた方が、より本質に触れられるのかもしれない。
どんなケースでも、女性の味方として対応するクリニックの医者や看護師たち、技術はなくとも近所に住む顔なじみの女の子の力になりたいと願う著者の思いは、普段は縁遠い産婦人科の頼もしさを感じさせる。
加えて、すべてを乗りこえて生まれる新しい生命は居あわせたスタッフや妊婦当人、家族へも深い感動を与えるものだ。
写実的ではない絵だが、その分、ときに想像力をかきたて、自身の経験を重ねることもしやすい。保健体育の授業だとか、すでに母になった女性の「こっちへおいでよ」スタンスで語られる経験談で、はあまりにも足りない。
「影」もあるからこそ、「光」がよりいっそう鮮やかになるリアルな命の現場を、まずは興味本位でもいいので見学してみてはいかがだろうか?
『透明なゆりかご』著者の沖田×華先生から、コメントをいただきました!
<文・和智永 妙>
「このマンガがすごい!」本誌やほかWeb記事などを手がけるライター、たまに編集ですが、しばらくは地方創生にかかわる家族に従い、伊豆修善寺での男児育てに時間を割いております。