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【インタビュー】阿部共実『月曜日の友達』ネームを完成させるまでに1年! 描きたかった思春期の中学生男女と“大友克洋的SF”、そして憧れの“自転車2人乗り”

2018/02/26


文章表現を意識するようになったきっかけは、あのボクサーマンガの影響!

――本作『月曜日の友達』の最大の特徴は“言葉”にあると思います。登場人物のセリフやモノローグで色や音、においなどが文章で表現され、とても詩情豊かです。

阿部  自分は言葉や文章に表現の割合を少し割くように意識するようにもなってきて。それにはきっかけがあって。

――そのきっかけとは?

阿部  『あしたのジョー』です。主人公の矢吹丈はドヤ街の人間で、少年院に送られたり、決して華やかな環境に身を置いてなくて。ナレーションでも町をはっきりと鉛色の町と記していたと思います。

――第1話の冒頭から「道ばたのほこりっぽいふきだまりのような」街と書かれていますもんね。

阿部  昭和という時代のドヤ街という背景や、ちばてつや先生の力強い画面が、こう白黒や灰色めいた、イメージを潜在的にもたらしてくれていると思います。それで、リングにあがった矢吹丈が一方的にやられて、丹下段平がタオルを投げようとした時に、矢吹丈の顔を見て「ジョーの目はまだ青白く燃えている」といって試合を続行させるシーンがあったと記憶しています。その瞬間、セリフひとつで、灰色の世界に矢吹丈の目だけに色がともったような、鮮やかな感覚に陥りました。

きっかけとなった『あしたのジョー』(高森朝雄[梶原一騎]原作/ちばてつや)は、ボクサーマンガの金字塔。

――『あしたのジョー』という作品が持つ色彩の喚起力、ですね。

阿部  それからしばらくは、色をイメージさせるようなネームを意識的に描いていました。出力できない感覚を、絵だけでなく言葉で表現する意識は、ここからより強くなったと思います。

――音についてはいかがですか? 本作ではオノマトペ(擬音語、擬態語)がほとんど使われていません。たとえば第4話は季節が夏です。蝉時雨を「ミーンミーン」と描き文字で表現せず、主人公・水谷のモノローグ(「わっ。」「蝉と蝉と蝉の叫びが入り乱れ激しくぶつかりあう。」)で表現されています。

阿部  音に関して考えるきっかけになったのは、タルコフスキーの映画です。タルコフスキー監督というと映像表現(水を徹底的にモチーフにしたり、長回しをしたり)がすさまじいのですが、音の扱い方も秀逸だと思っています。BGMのないシーンで、日常のなかでの水が垂れる音、葉と葉がこすれる風の音、本を紙を指でめくる音など、音の快感を追及していて。描き文字で「ポタポタ」や「ペラペラ」と描いてたところで「これは到底たちうちできないな」と思わされました。映画は音を出力できますが、マンガは出力ができない。音はマンガの弱点です。

夏の風物詩、蝉の鳴き声を水谷のセリフで読者に想像させるワンシーン。

――ただ、先ほどの「色」を喚起する力と同様のことが、「音」や「におい」にもいえるのではないでしょうか?

阿部  そうですね。音や絵や映像を使えないことを武器にしている分野もあって、それが小説とか活字だと思うんです。言葉とその配列で、むしろ感覚以上のイメージを想起させることができている。マンガにも色や動きや音など、出力できない制約が多いので、絵だけではなくセリフなどで、よりよい表現ができたらと思います。この“出せない制約”を、むしろ読者のイメージを膨らます方向にもっていければ強さにもなると思います。

――文章表現に力を入れるのは、そのような理由があるんですね。

阿部  描き文字を描かないことについては、自分の描いた画面に文字とかを乗せるのがあまり好きじゃないのと面倒なのがあって、それで描き文字は以前からかなり減っていましたね。ただ、マンガで描き文字を使わないことが正解と思っているわけではありません。ギャグマンガやアクションマンガでは効果が強いですし作風次第だと思います。ただ今作『月曜日の友達』は、テーマが日常的なものなので、音に関しても日常的なイメージで伝えたかったというのがありました。

――文章表現について、影響を受けた作家はいますか?

阿部  特にだれの影響とかはないと思うのですが、自分は宮沢賢治が好きです。小学生でも読める難しくない言葉の配列で、ここまで感動的な力を文章に宿らせられるなんてすごいなと思います。だから宮沢賢治のようにだれにでも読みやすくするために、難しい言葉は使わない、というのはありました。だから青年誌なのに、ルビを打ってもらっていました。

――「スピリッツ」は小学館の雑誌なので、フキダシのなかに句読点が入ります。そのルールは、文章づくりの際に影響しましたか?

阿部  句読点はおもしろい部分もありますが、いざ付くと、イメージが変わってしまう部分もあって難しかったですね。「、」や「。」だと冷静さが出るけれど、とはいえ「!」ばっかだと元気すぎますし。

――セリフ回しは、かなり苦心されましたか?

阿部  机の前で時間をかける、ということはあまりなかった気がします。自分のなかにまったくない言葉や思考をひねり出したりすることは、ほぼないので。ただ、そのキャラにもっと適したセリフが出てきた場合には、作画に入った段階であってもセリフを変えることはありました。また、ペン入れした表情でセリフが変わったこともあります。とくにセリフは、最後までいろいろ変わりました。完成原稿のコピーとネームを見比べて、セリフなどは最後まで調整しました。

――作画だけでなく、ネーム(文字のフォントやQ数)もご自分で?

阿部  ネームはデジタルでやってます。そのほうが手直しが楽なので。ただ、やはりセリフが冗長になりがちなので、わざと大きめの級数で作業していました。そうすると、すぐにフキダシがパンパンになるので、「セリフが多いぞ」と自分の危機感をあおっていました。あくまで自分の目安用で編集者さんが写植してくれるのは一般的なサイズです。

――ページを開いた時に文字が多いと、それだけで拒否感を抱く読者もいますよね。

阿部  それは普通のマンガを描く時も同じで、強い絵を入れたり、キャラの表情やカットのつなぎだけで、どういう状況でどういう展開なのかわかるように心がけています。うまくできていたか、わかりませんけど。

――本作には絵を読む楽しみと同時に、文字を読む楽しみも感じました。

阿部  基本、自分はマンガをセリフで構成しがちなので、セリフはリズムを少し意識することがあります。ひらたくいうと、例えば語末を同じ音でそろえるとか。

――詩の脚韻みたいですね。

阿部  詩や小説を特別意識したり真似しようというわけではないんですけどね。

――絵、構図、言葉など、マンガは複数の要素が絡みます。

阿部  絵だけで音を表現されているすごい画力の漫画家の先生もいます。だけど自分はそんな画力ないし、だからこそ言葉にも頼る感じです。そういうバランスが漫画家としての個性の部分になってくるのかな、と思います。画力や技術は、あるに越したことはないのですが、だれだってないものはないので、自分の手持ちの武器を駆使して、いかにうまく理想の表現に近づくために補っていくか。それが作風になるのかなと思います。

――考えてみれば、マンガはそれだけ複雑な要素を、漫画家ひとりですべて決めるわけですよね。

阿部  マンガには制約もありますが、絵、脚本、演出など、すべてをひとりでコントロールできますし、自由にやってもあまり咎められにくい分野だと思うので、楽しいと思います。


取材・構成:加山竜司

■次回予告

次回のインタビューでは、『月曜日の友達』の作中で描かれた、美しく印象的なシーンの数々の制作秘話や苦労話をたっぷりうかがいます!
インタビュー第2弾は3月5日(月)公開予定です! お楽しみに!

単行本情報

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