『ぼくの村の話』第1巻
尾瀬あきら 講談社 \485+税
1978(昭和53)年5月20日、成田国際空港(旧・新東京国際空港)が開港した。
60年代までは羽田が国際空港としての役割を担っていたが、年々増加する国際輸送に対してキャパシティはパンク寸前。しかし羽田は拡張工事が難しい立地にあったため、東京近郊に新たな国際空港を作ることが急務となった。
そこで浮上した候補地が千葉県。1963(昭和38)年には富里・八街地域への設置案が提示されたが、根強い住民の反対運動にあって暗礁に乗りあげ、1966年に成田市三里塚に候補地が変更されることに。
これがのちに「成田闘争・三里塚闘争」と呼ばれる大規模な空港反対運動に発展するのだ。
1992年、「モーニング」14号からスタートした『ぼくの村の話』は、三里塚ならぬ“三野塚”という架空の村を舞台にしたフィクションの体裁をとりつつも、成田闘争とはなんだったのかをふり返る作品である。
作者は同誌で『夏子の酒』を大人気のまま終わらせたばかりの尾瀬あきらだ。
物語は御料牧場のそばにある、のどかな村・三野塚から始まる。
住民たちは近くの村が買収されて空港ができるとは聞いていたが、自分たちには関係のない話だった。ところが事態は急転、政府は新空港の候補地を三野塚に変更すると発表したのだ。
突然の発表にとまどう村の人々。合意を得るための話しあいは皆無、閣議決定後に“理解”だけを求めて土地を明け渡せと迫る政府に、苦労して土地を開墾してきた農民たちは怒りの声をあげる。
そのいっぽうで、農業に行きづまりを感じている人たちは破格の補償提示に折れるかたちで土地を差し出し、反対派と賛成派に分かれていく。子どもたちもその余波を受け、仲のよかった友人同士がひき裂かれていく。
やがて思惑を持って近づく野党や左翼の学生らを巻きこみ、反対運動は血を見るまでに激化&長期化することに。
はたして閣議決定からこの開港記念日を迎えるまで、じつに12年もの年月が流れることになるのだ。
『ぼくの村の話』は、成田闘争とともに10代をすごしたひとりの少年の目をとおして「民主主義とは礼儀のことではないか?」と、問いかける。
なりふり構わぬ政府のやり方に正義などない。犠牲があるのは仕方がないということであれば、決して傲慢な態度をとってはならなかった。
37年前に成田が開港して以降も反対運動は続いた。
1985年の成田現地闘争など大きなニュースもたびたび報じられたので、30代以上の人ならば「三里塚」の三文字は幾度となく目にしたことと思う。しかし、反対運動の本質がどこにあったのかを理解している人は少ないはずだ。
『ぼくの村の話』のコミックスは長らく入手しにくい状況だったが、現在は電子書籍化されており、手軽に購入することができる。
成田闘争の歴史に興味をもたれ方は、ぜひご一読を。
<文・奈良崎コロスケ>
68年生まれ。マンガ、映画、バクチの3本立てで糊口をしのぐライター。中野ブロードウェイの真横に在住する中央線サブカル糞中年。出身地の立川を舞台にした映画『ズタボロ』(橋本一監督/公開中)の劇場用プログラムに参加しております。観てね!
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