『劇画漂流』上巻
辰巳ヨシヒロ 青林工藝舎 \1,600+税
7月24日が「劇画の日」と定められたのは、1964(昭和39)年のこの日、青林堂がマンガ雑誌「ガロ」を創刊したことに由来する。白土三平、つげ義春、水木しげるらが活躍、大人の読み手を満足させる作品を世の中に送り出した同誌は、劇画ブームの拠点と位置づけられている。
さて、ここで紹介する辰巳ヨシヒロこそ、じつは「劇画」の命名者にして始祖たる作家。本作は、そのマンガ人生を描いた自伝的作品である。
辰巳は1935(昭和10)年、大阪生まれ。手塚治虫のマンガに夢中になり、せっせと投稿に励む。こうした少年時代の姿は同世代の藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、石ノ森章太郎らとまったく同じといえよう。
しかし、辰巳は“トキワ荘”勢とは異なる“まんが道”を歩むことになる。
貸本マンガ出版社、西の雄として知られた日の丸文庫でデビューした辰巳は、次第に従来のマンガ表現に物足りなさを感じ始める。明朗な児童マンガ、デフォルメされた手塚調の絵柄から袂をわかち、辰巳が目指したのはリアルな表現だった。
映画や小説からも想を得て、アクションやバイオレンスをも取り入れた作風をみずから「劇画」と名づけたのは1957(昭和32)年のこと。さいとう・たかをらと「劇画工房」を結成し、新しいマンガの世界を切りひらいていく。
アウトロー、社会の底辺で生きる人々に注視した作品群は海外でも高い評価を得ており、今年(2015年)の3月に鬼籍に入った折には、海外メディアでも大きく報じられた。
2005年には、フランスのアングレーム国際マンガフェスティバルで特別賞を受賞。また、本作を軸としたアニメ・ドキュメンタリー『TATSUMI マンガに革命を起こした男』(エリック・クー監督作品)は2011年のカンヌ映画祭を皮切りに世界各地で上映されている。
マンガの可能性を模索し、後世に大きな影響を与えた “世界のTATSUMI”はいかにして生まれたか。
本作をきっかけに、ぜひほかの作品も手に取ってほしい。
<文・粟生こずえ>
雑食系編集者&ライター。高円寺「円盤」にて読書推進トークイベント「四度の飯と本が好き」不定期開催中。
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