ボーイミーツガール×新興宗教×お気楽サイキック×ハードボイルド=胸キュンの青春!? 競泳女子・サクタさんと書道男子・門司くん。屋上で出会った2人のひと夏は甘酸っぱすぎて、時にハードで、かなり心地いい。
新鋭・田島列島の長編デビュー作となる『子供はわかってあげない』は「モーニング」連載時から話題沸騰となり、2014年9月23日に上下巻が発売されるや、「このマンガがすごい! 2015」でいきなりオトコ編の第3位にランクインした。マンガ好きから熱い注目を集める今もっともホットな話題作が登場! 味わい深き田島ワールドに迫る!!
そうだ、マンガ描こう――知られざる漫画家デビューまでの道
――読初の長編作品『子供はわかってあげない』が「このマンガがすごい! 2015」で3位、直前の「このマンガがすごい!WEB」の11月ランキングでは1位(いずれもオトコ編)[注1]。今もっとも注目されている新人ではないでしょうか? 田島先生がどのような漫画家なのか、多くの読者が気になっていると思います。これまでの経歴をお教えください。
田島 最初の投稿作品は『ごあいさつ』という短編です。2008年の第24回MANGA OPEN(新人賞)[注2]でさだやす圭賞をいただきました。
担当 今、小学館さんの「ビッグコミック スペリオール」で『鬼死ね』[注3]を連載している岡田索雲先生が、ホームレスを題材にした『ブラックタイガー』という作品で大賞を受賞した回です。従来だと、大賞受賞作だけが「モーニング」に掲載されるのですが、この時は編集部内で「どっちもすごい!」という話になって、田島先生の『ごあいさつ』も掲載されました。
――投稿先に「モーニング」を選んだのは、どうしてでしょうか?
田島 じつは、最初は「ビッグコミック スピリッツ」に送ろうと思ってました。
担当 (苦笑)
田島 でも描き上げた時に発売されていた「スピリッツ」には、新人賞の応募要項が載っていなかったんです。それで、隣にあった「モーニング」を見たら募集があったので「じゃあこっちにしようか」と(笑)。や、「モーニング」も読んでいたんですよ。
担当 どうも話を聞くと、その記事は僕が作ったんですよ。木下晋也先生[注4]が『ポテン生活』で大賞受賞から即連載になったので、『ポテン生活』のカットを使って記事を作ったことを覚えています。
――それが担当になるんですから、なかなか運命的なものがありますね。では「モーニング」以外には投稿してないんですか?
田島 そうです。大学は映像学科に行ってたんですけど、学校の課題で4コママンガを描いたくらい……かな?
担当 それを見せてもらったのですが、毎日起きたことを書いている日記のような内容です。「和紙に描いたらにじんでしまうから紙を変えた」とか、初めて描いている感満載のものが60日分くらいある。タッチは『子供はわかってあげない』下巻のあとがきのような感じですね。
田島 ペン入れまでしたのは、それが初めてでした。
――めちゃくちゃ読みたいですね、それ。
田島 友だちの名前とかバンバン出てくるので、ちょっと掲載できない(笑)。それで大学を卒業してからはアルバイトをしながら生活をしていて、自分の稼ぎで暮らしていくということがすごく気分的に楽で、なんかこのまま生きていけるなぁ、と思ってたら、まったく描かなくなっちゃいました。
――あら(笑)
田島 でもバイト先の給料が遅れることがあって、「社会ってそんなに信用できないぞ」と思って貯金をし始めたんです。少し貯金ができてからバイトを辞めて、しばらく遊んで暮らしていたら「そうだ、マンガを描いてみよう」と。だから遊ぶ金ほしさ……いや、それは違うか(笑)。
――それが『ごあいさつ』で、いきなりの受賞ですか?
田島 そうです。それで『ごあいさつ』のあとに『官僚アバンチュール』ですね。
――『官僚アバンチュール』が2010年に掲載。そして2014年1〜2月に「モーニング」誌上で「田島列島縦断ツアー」と題し『おっぱいありがとう』『お金のある風景』『ジョニ男の青春』と3本の短編が掲載され、そして3月から『子供はわかってあげない』が始まります。この「田島列島縦断ツアー」はかなり新鮮でした。
田島 『おっぱいありがとう』は、ネーム自体は4年くらい前に描いていたんですよね。担当さんには東日本大震災の前に見せていて、原稿にしたのはそのあとです。
担当 我々の業界でいう、「買い取り」だったんです。
――編集部によっては「代理原稿(誰かの原稿が落ちた際に掲載する作品)」とも呼ばれる、原稿のストックですね。タイミングさえ合えば、いつでもGOサインが出せるような「掲載待ちの原稿」。
担当 そうです。僕はすぐ載せてもいいと思っていたんですが、編集長は「何本かまとまってから載せたい」という方針だったんですね。
――その「何本か」がたまるまで、少し時間がかかりました。そこは何を描こうか悩んでいたんですか?
田島 いや、バイトが忙しくて……(笑)。
――漫画家さんはデビューするまでがたいへんですからね。原稿を描いても、それが必ずお金になるワケじゃないですし。「あとがき」では「家庭の事情で1年ほど実家に帰っていた」とありますが。
田島 実家ではヒマだったので、それまでにたまっていたネームを原稿にしてました。それから再上京して、2013年の秋から『子供はわかってあげない』のネームに取りかかりました。
- 注1 『このマンガがすごい!WEB』11月のランキングではオトコ編1位 https://konomanga.jp/special/13687-2
- 注2 MANGA OPEN 講談社「モーニング」「モーニング・ツー」で行われる新人賞。年に2回(5月末締め、11月末締め)開催され、過去に大賞を受賞した作家に小山宙哉(『宇宙兄弟』)、とりのなん子(『とりぱん』)、木下晋也(『ポテン生活』)、竜田一人(『いちえふ』)などがいる。また、優秀賞や選考者賞の受賞者にはツジトモ(『GIANT KILLING』)やアダチケイジ(『グラゼニ』作画担当)なども。 ※『』内は現在の代表作であり、受賞作ではない。
- 注3 『鬼死ね』 岡田索雲によるマンガ。人間の姿をしているがじつは赤鬼と青鬼の双子の兄弟の物語。人間と鬼による異色の悲喜劇として話題に。
- 注4 木下晋也 大阪生まれの漫画家。2006年、「comicギャグダ」(東京漫画社)誌上にて『ユルくん』でデビュー。2008年、『ポテン生活』で第23回MANGA OPEN大賞を受賞し、「モーニング」で連載を開始。現在、総合エンタメ情報サイト「dメニュー エンタメウィーク」にて『マコとマコト』を連載中。