悩みぬいて決めた『あとかたの街』というタイトル
――『あとかたの街』って、印象に残るタイトルですね。
おざわ ありがとうございます、すごく悩んだんです。
――普段はどうやって決めるんですか?
おざわ なんでもいいかな、って思うんです。でも印象に残るタイトルをつけたい欲求はあるんですよね。わかりやすい、見て理解できる、頭に残るタイトル。それでいて長くなくて、なおかつおおげさじゃない。それで本当に悩んで……。担当さんからは「とにかく候補を何十個でも出してください」と言われて、それでも出せなくて。
――それは難産でしたね。
おざわ 結局、本屋をめぐっていろいろな本のタイトルをずらーっと眺めている時に、「あとかた」という単語を見つけたんです。その時に「あ、この言葉好きだな」と。「あとかた」「の」「街」って、本来は日本語として通じないんですけど、それが逆にいいかなと思いまして。
――「あとかた」という言葉で名古屋大空襲が題材ですから、もうそれだけで終末が予告されているようなタイトルなんですけど、そこから連想するものと1巻のカバーのかわいらしさが、すごくギャップがあります。
おざわ 1巻には戦争描写があまりないので、担当さんからも「戦争の絵じゃないほうがいい」「生活感があるほうがいい」と言われて、「そうしましょう」と。
――なにか「手に取りたくなる表紙」をしてますよね。
おざわ 1巻発売後、「このマンガがすごい!WEB」の8月のランキング オンナ編で1位[注12]に選んでいただいて、それがすっごくうれしかったんですよ。
――恐縮です。
おざわ ジャンル的に難しいと思っていたんです。サブカルではないし、恋愛マンガでもないし……。
――洋三とは、ちょっとイイ感じになるじゃないですか。
おざわ あんまり恋愛にいってないですよ(笑)。「これ」というものが全然なかったので。 今風の絵でもないですし、そもそも少女マンガ自体がひさしぶりだったんですよ。
――ご自身では手ごたえは?
おざわ 「どうなんだろう?」っていうのは、いまだにあります。
担当 昨年の10月に2巻が出た時に三省堂書店有楽町店さんでサイン会をやらせていただいた際には、老若男女問わず、たくさんの方に足を運んでいただきました。男性が多いとか、女性が多いといった偏りもなく、親子連れもいらっしゃって。
おざわ そこで、本当に幅広く受け入れられてるんだな、と実感しました。
戦争の場へと変わっていく主人公の生活空間を描く
――主人公はお母様がモデルですよね?
おざわ そうです。昭和7年(1932)生まれで、『あとかたの街』の設定では12歳[注13]の国民学校初等科[注14]です。3月31日生まれなので、作中ではそろそろ13歳を迎えるかどうか、の時期です。
――名古屋大空襲はいつでしたっけ?
おざわ 大きいのは昭和20年(1945)の3月12日、19日、25日ですね。
――お母様が被災されたのは……お聞きするとネタバレになりそうですね(笑)。ただ、完全にノンフィクションというわけではないんですよね?
おざわ そうです。あくまで母の体験をもとにしたフィクションです。家族構成とかは似せていますけど。
――『凍りの掌』はドキュメンタリータッチの作品でしたが、今回はフィクションにするにあたって苦心されたことは?
おざわ うーん……、母の証言のまま描いてしまうと、すごく受け身で地味な子になってしまうんですね(笑)
――戦時中の日本の女性、ましてや子どもだとそうですよね。
おざわ ええ、当時としては普通だと思います。なので毎回の打ち合わせでは、担当さんから「もっと能動的に」と言われてしまいます。
――ああ、マンガ的にキャラクターを動かしていかなければいけない。
おざわ そうです。『凍りの掌』はもう完璧に受け身な話でしたしね。
――基本的には主人公の目を通して見た世界が描かれていきます。読者の視線はあいの視線と近いと思うんですけど、『凍りの掌』は水平方向に見渡すシーンが多かったのに対し、『あとかたの街』は垂直(上下)の動きが多いように感じます。たとえば、こういう構図は『凍りの掌』にはありませんでしたよね。
おざわ 『凍りの掌』はあまり空間を描いてなくて、位置関係がわからないままだと思うんです。主人公がどのあたりに行ったのか、読んでいてもあまりわからないと思います。そういったことは意識せず、ひたすら「何が起こったのか」を、主人公である父の身に起きた出来事を忠実に描きました。
――今どこに自分がいるのか、主人公も知らされていませんしね。
おざわ それもあります。一方で『あとかたの街』に関しては、空間を伝えたいという思いがあります。登場人物が見たものを、見た目線で描きたい。そうすることで、読んでくれた方も「そうだったのかな」と共感してくれるかもしれない。どういう具合に見えているのか、どう描けば伝わりやすいのかを意識してます。
――主人公の生活空間。
おざわ それが空襲によって、戦争の場に変わってしまいます。
――以前、コージィ城倉先生[注15]が、「町並みの資料が少ない」とおっしゃってました。当時の一般的な家屋はわかるけど、その周辺状況というか、町並み風景ですね。コージィ先生の作品は昭和30年代が舞台ですけど。
おざわ 同じことが言えます。それと、空襲後の焼け野原は写真や映像が残っているんですけど、焼ける前の姿はほとんどわかりません。
――では、『あとかたの街』の舞台となる街は、どうやって描いているのでしょうか?
おざわ そこも資料と取材です。道の幅はこれくらいだったから……とか。それらをまとめて想像で描きます。できるだけ調べて描いているので、もう作画がたいへん。航空機にしても、メカなんか得意じゃないのに、もうB29だけで100機くらい描きました。
――焼夷弾の形状とか、資料で残っているものなんでしょうか?
おざわ あります。落とす場所によって種類を変えていたので、形状が微妙に違っていたりするんですよ。工場は爆弾で爆発させるとか、一般民家は木造だから延焼させるほうが効率いい……とか。
――では焼夷弾も描き分けている?
おざわ そうですね。アメリカはそういうのを実際にモデルを作って、シミュレーションしてましたから。
――三菱工場への空襲シーンは衝撃でした。
おざわ 資料を調べている時にすごく印象的だったのが、沖縄の証言集でした。沖縄の防空壕がすごく悲惨だったんです。「自決せよ」とは言われていないけど、手りゅう弾を手渡されていた。だから敵兵が来た時に防空壕のなかで手りゅう弾を使ったんですが、たまたま生き残った人が後年、当時の状況を絵に描いたんです。それはプロの画家が描いたものではなかったからうまくはないんです。でも、だからこそ逆にすごく怖い。密室でいっぱい人が死んで、誰もいなくなってしまった部屋。その感じを入れたくて、このシーンを描きました。