描きたいのは戦時中の「日常感覚」
――『あとかたの街』には「衣食住」すべてが描かれていて、すごく生活感が描写されています。そこはかなり意識されているのでしょうか?
おざわ そうです。空襲って、日常に戦争が入ってくるものですから、「日常感覚の延長として戦争を描きたい」という思いがまずありました。そこはすごく大事に描きたいと思っています。
――着物と同様、食べもののところも筆がノっているというか、楽しんで描いているようにお見受けしますが?
おざわ 食べものを描くのは楽しいですねぇ。そこだけはトーンも自分で貼ってるんですよ(笑)
――さすが、グルメマンガを描いているだけありますね!
おざわ この作品、あんまり食べものは出てこないんですけどね。だから余計に、どうしても「描きたい」ってなります。
――お手玉のなかに炒り豆を入れるエピソードが印象的でした。
おざわ 本来は小豆を入れるんですけど、おやつになるように、炒った大豆を入れていたんですね。
――これもどなたかの証言がもとになっていたりします?
おざわ これはみんなやっていたみたいです。というのも、学童疎開の子どもに会いに行く時におやつなんか持っていくと、取りあげられて、みんなで分配されたりしたみたいなんです。だから隠れて食べられるように、お手玉が考えられたんですね。おむすびを持っていくにしても、数多く持っていくんじゃなくて、大きいのをひとつ、とか。
――ああ、藤子A先生の『少年時代』[注10]にもそういう話ありましたね!
おざわ そう、優しいお母さんが送ってくれたものが取られちゃう話。
――それから『あとかたの街』には、みかんの皮を砂糖漬けにするエピソードもありました。
おざわ 当時は調味料もなくなってきていたから、あれもそんなにおいしいとは思えないんですよね。ただ、味覚も落ちてきているから、そんなにおいしいものじゃなくても平気だったのかもしれない。
――戦争モノだと「食べられない」エピソードはよく聞きますが、こうして実際に当時食べていたものの話が出てくる作品は少ないですね。
おざわ こうの史代先生[注11]はたくさん描かれてますね。当時のレシピとか。当時の雑誌なんか読むと、雑草の食べかたとか載っていて、どう見てもおいしそうじゃないんです。
――そんななか、主人公・あいには好き嫌いもあります。
おざわ 人参が嫌いなのは私の母の話です。たしかに当時は「食べられない時代」だったんですけど、だからといってなんでもおいしく感じたかというと、そんなことはないと思うんですよね。普通の感覚として、好き嫌いはあったと思います。「ものがなくなっていく時代」なので、子どもたちも「ものがあった時代」を知っているわけですから。
――たとえば時代劇とか戦争モノだと、主人公の口を通じて、現代の価値観を語らせる作品もあります。これは食べものに関することだけでなく、作品全体に通じて言えることですが、『あとかたの街』はそういったことを意図的に排しているように感じました。
おざわ そこまで強く意識しているわけではないんですけど、当時の感覚をできるだけつかもうと意識して描いています。ものがない状況で、戦争がひっ迫してきて、そういったことが普通になっちゃっている。その当時の感覚を一生懸命探りながら描いています。
――そういうところが生活感を生むんでしょうね。
おざわ これは言わなきゃ気づいてもらえないかもしれないんですけど……
――なんでしょう?
おざわ 2巻の空襲シーンで、みんな防空頭巾を被っているじゃないですか。
――はい。主人公・あいは鋲版工場にいて、同時刻の三菱発動機大幸工場とシーンが切り替わる箇所ですね。
おざわ 三菱に行っている子たちの防空頭巾は、若干華やかにしてるんです。
――ほんとだ。三菱のほうには花柄の子とかいますね。
おざわ 三菱のほうは、女学校の子たちが勤労動員で行っているので、それなりに裕福な家庭の子なんですね。だから貧富の差というか、持ちものに差をつけて描いてます。
――これは気づきませんでした。しかし言われてみると、たしかに三菱と鋲版工場でコントラストがありますね。
おざわ あとは、ときちゃん(三女)が履いているでっかい下駄ですね。
――これは、お父さんのお下がり?
おざわ いえ、当時は物資が不足して、配給下駄もなくなっていたので、下駄を自作していたそうなんです。といっても、適当な板に鼻緒をくくりつけたような簡素なものだったそうなんですが。ときが履いているのはそういう下駄なんです。それで、疎開に行く時に、ちゃんとしたものを履かせる。だから最初の頃は、かなり適当な格好をさせています。