「映画を撮るつもり」で完成した短編群
――田中先生はデビュー自体はもうちょっと前ですよね?
田中 そうですね、2000年、秋に「思い出は冷たい鉄の中に」で四季賞の佳作をいただきました。
――それは学生の時に?
田中 そうです。その頃、富沢ひとし[注2]先生の『ミルククローゼット』という作品をお手伝いしてました。
――アシスタントに入っていたんですか?
田中 期間にして1年から1年半くらいだったと思います。仕上げをちょっとお手伝いするくらいでしたが。じつは今の担当さんとは、その時すでに面識があったんです。
――あ、ではけっこう長いつきあいなんですね。
担当 最初の頃からストーリーとか設定は壮大なものがありました。ただ、あのころは絵がネックでした。
田中 そうですね(笑)。その頃の縁があったので、2009年ごろに私の前の担当さんが異動になった際に引き継いでくれたんですね。それで今の担当さんになって最初に描いたのが「害虫駆除局」です。
――田中先生は2002年・冬に「小さな約束」で四季賞を受賞してます。そして2009年・春に「害虫駆除局」で四季賞を受賞するまでキャリアに空白があるのですが、その間はどういったことをされていたんですか?
田中 ビデオカメラマンの仕事をしていました。
――え? それはマンガに活かすとか、そういう目的で?
田中 いや、全然違うんです。もともとはアルバイトだったんです。高校時代から吹奏楽とか管弦楽をやってましたので、「音楽詳しい人集まれ」みたいなアルバイトの募集広告を見て応募したんです。音楽関係の舞台撮影とか、吹奏楽部の演奏会やコンクールを撮ったりしてました。そっちの仕事を一生懸命やってました。
――ではその時期は、映像系の仕事をしようか、マンガをやろうか、けっこう揺れていたんですか?
田中 マンガを続けたいという気持ちはずっとあったんですが、なかなかうまくいかないこともあったので。ただ、結果としてカメラマンの仕事は、絵を描くときにものすごく役立っています。被写体との距離がどれくらいだと、どういうフレームに収まるのか、とか。
――なるほど。アングルとか凝っているのは、その影響なんですね。ちなみに学生時代は、芸術系とか映像系だったんですか?
田中 心理学をやってました。
――ええっ? いや、構図とか造形とかすごく凝った作品を描くので、てっきり美術系の学校とかの出身かと思っていましたよ!
田中 社会心理学です。
――それはまたどうして?
田中 これはマンガに活かそうと思って選びました。マンガを描くなら、人間について知っておかないとマズイだろうと思ったんです。いや、劣等生でしたけどね。
――じゃあ昔から漫画家をめざしていたし、空白の期間もずっとマンガを描きたいという思いがあったわけですか?
田中 でもなかなか完成まで到らなかったですね。
――そこで「害虫駆除局」は完成までこぎつけるわけですが……それまでとは何が違ったのでしょうか? なぜ「害虫駆除局」は完成できたのでしょうか。
田中 うーん、どこなんでしょう……。腹を据えて取りかからねば、と覚悟を決めたところ、だと思うんですけどね。一念発起して「害虫駆除局」に取りかかるんですが、その途中で前任の担当さんが異動になりまして。
――では担当さんは、はじめて「害虫駆除局」のネームを見て、どう思いましたか?
担当 それまでに何度もやり直していたみたいで、僕が見た段階でも5、6パターンのネームがあったんです。
田中 いちばん最初は「害虫駆除局」という設定はなかったんです。巣の中に虫に飼われている人たちがいる、という設定で、それが「害虫駆除局」と「箱庭の巨獣」のもとになっています。
担当 僕がネームを見たときはすでに「害虫駆除局」になった段階で、いずれも「虫が人を襲う」という断片的なエピソードでした。ジャンル的にはSFホラーとかパニックホラーというんでしょうか? グロテスクだから読者を選ぶだろうけど、ハリウッド映画にもよくあるジャンルで、ジャンル化しているということはニーズもあるだろう、と。それに虫の造形もおもしろかったので、これはいいんじゃないかな、と思いました。ただ、お話の軸があまり見えなかったんですね。だから「ハリウッド映画を撮るつもりで、オープニングからラストまでネームを切り直してみましょう」ということを提案したんです。
田中 覚えてます。
担当 そうしたら、コツをつかんだというか、自分のマンガのツボをつかんだようで、ちゃんとしたドラマができてきたんですね。それ以降に作られた短編がコミックスに収録されている4本です。
――今のお話をうかがっていると、「こういうストーリーを見せたい」という必要性から虫や猿などの設定や造形が生まれているわけじゃないんですね。はじめに設定ありき、なんですね。
田中 そうです。まず印象的なシーンがひとつあって、そこから物語が始まります。
――印象的なシーン……たとえばどれでしょう?
田中 「まちあわせ」だと、巨大な樹の中で赤ちゃんが見つかるワンシーン。「箱庭の巨獣」だと、2つの巨獣が対決するシーン。そういうワンシーン、ワンシーンがきっかけになって、物語ができていきます。
――「害虫駆除局」の場合はどうでした?
田中 最初に虫ありきで発想していって、いったんネームが完成して、じゃあちょっとセリフを直してペン入れをしようか、という段階になって、このラストの展開がふいに思いついたんです。
――主人公の奥さんがどうなるか、の部分ですね。
田中 このシーンがパッと出てきたときに、ネームを全部組み直して整理して、それで今の原稿の形になりました。
――けっこう衝撃的な結末ですよね。
田中 あのシーンを思いついたときにはけっこうゾクゾクして、これは何がなんでも描かなければ、と思いました。
- 注2 富沢ひとし 板垣恵介のアシスタントを経て、1994年に「週刊少年チャンピオン」にて『肥前屋十兵衛』でデビュー。代表作に『エイリアン9』など。「月刊アフタヌーン」では2000年から『ミルククローゼット』を連載。