インタビュー前編では、『チェイサー』のテーマ、そして手塚治虫の天才性についてお話いただいたコージィ城倉先生。後編では『チェイサー』主人公・海徳光市と城倉先生の漫画家としての共通点などを語っていただいた。
前編はコチラ!
【インタビュー】天才の頭の中ってどうなってんだ!? 『チェイサー』コージィ城倉【前編】
虚実ないまぜの「手塚フォークロア」
――『チェイサー』の作品世界は昭和30年代です。マンガを描くうえで、何がいちばんたいへんですか?
城倉 やっぱり資料集めがたいへん。もっと昔の 江戸時代の暮らしとか歴史的な史料になると 手に入りやすいんだけど、昭和30年代の東京の町並みは少ないんだよ。だから『チェイサー』を描くのに、じつはいろいろと資料を集めているのよ。
――特に収集しにくいものとなると?
城倉 手塚邸の周辺かなぁ。
――昭和30年代ですと、手塚先生は転居も多い[注1]ですしね。
城倉 『ブラック・ジャック創作秘話』を読むと、富士見台の自宅の庭に建てた虫プロが出てくるじゃない。あれはね、けっこう資料が残っているんだ。でも、それ以前の自宅やその周辺の風景となると、まず存在しない。
――マンガ史を紐解くうえでも、そのあたりの時代は(資料的な)空白が多いんですよ ね。『まんが道』は資料性も高いとは思いますが、しかしフィクションなので創作も多く、時系列が事実と違う箇所もあります。
城倉 安孫子素雄先生も、じつは大きなファクターとなっています。「安孫子先生が言っていることは、どこまで本当か?」というのは、俺も前から気になっていたんだよね。変な話、『まんが道』がマンガの歴史を作った面はあると思う。
――いうなれば「トキワ荘史観」ですよね。 『チェイサー』は、トキワ荘史観に則ってい ない手塚の追いかけ方が斬新です。
城倉 手塚は功績が大きいし、メディアの露出も多かったけど、彼を神格化したのは『まんが道』も影響が大きいと思ってる。
――「ほかの作家がいま読まれないのは安孫子素雄がいなかったから」でしょうか。
城倉 わははは。「まわりが歴史を作る」みたいな部分は絶対にあると思うよ。俺も安孫子先生にインタビューに行ったんだけど、以前に聞いた話とは違っていたりする。「どこま で本当なのか?」(笑)。
――(笑)。
城倉 でもね、それが好きなんですよ。
――と言うと?
城倉 安孫子先生以外にもいろいろな人に話を聞いているんだけど、みんな話が少しずつズレている。同じ体験をしているのに、みんな記憶している箇所や、感じ方が異なるから、語る歴史が異なるの。そういった現象がおもしろい。
――さしずめ「手塚フォークロア」ですね。
城倉 そこがいちばんおもしろい。そうやって誰もが語りたがる中心の核にいるのが、手塚治虫という人物なんです。
――資料のない部分や、複数の証言が食い違う部分は、どう補っていますか?
城倉 そこは想像で補う。『ブラック・ジャック創作秘話』はドキュメンタリーだし、比較的新しい時代の証言者にインタビューしてマンガに登場させているから、手塚治虫をダイレクトに描くことができる。だけど『チェイサー』の時代は資料が少ないから、想像が大事なんだよね。俺が昭和30年代に生きていて、同業者として手塚治虫を見ていたらどう思うかなぁ、と。そう思って描けば、それでいいじゃない(笑)。
――手塚先生は石子順さんとの対話[注2]のなかで「『武田信玄』をいろんな漫画家が漫画に描いてますね、NHKでやるということで。ああいうのはいやだね、ぼくはね(笑)。あれだったら、武田信玄の部下にいた武将の、さらに下にいた下っぱあたりが、どういうふうに犬死していったかというようなことを、ぼくは描きたいね。その連中からみた武田信玄の話をね。」と仰ってます。
城倉 それは『火の鳥』も同じだね。平清盛の周辺にいる人物にスポットを当てている(「乱世編」)のは、まさにその手法だね。それは俺の大好きな手法なんだ。俺は『空手バカ一代[注3]』が大好きだから。ああいった梶原一騎の虚実ないまぜの手法。ウソを描く、というわけじゃないけど、「まわりのヤツは、こう思っていたかもしれないジャン」と想像して描く。それがおもしろいと思うんだ。
――『プロレススーパースター列伝[注4]』とか。
城倉 そうそう、それも大好き(笑)。いまハリウッドでアカデミー賞を取る映画って、みんな「実際にあった出来事」でしょ。
――そうですね、今年は『それでも夜は明ける[注5]』が作品賞を受賞しました。
城倉 「実話をもとに」って謳い文句に惹かれちゃうんだよ、俺も。「12年間も奴隷にされちゃったの? 本当!?」って。そういうのをエンターテンメントに落とし込むことが本当に好きなんだ。だから梶原一騎作品のような虚実ないまぜが、『チェイサー』にも影を落としているんですよ。
――なるほど、『チェイサー』の「この人物は実在した!」は梶原イズムだったんですね。
- 注1 手塚治虫が豊島区のトキワ荘を退去したのが 1954(昭和29)年。その後、雑司ヶ谷(通 称「並木ハウス」)に移り、1959(昭和34)年には結婚を機に初台へ。1960(昭和35)年に練馬区富士見台に自宅を新築し、翌1961(昭和36)年に自宅の庭に虫プロを建てている。
- 注2 石子順はマンガ評論家。昭和30~40年代の「悪書追放運動」でマンガが迫害された際に、マンガの地位向上に尽力。引用部分は 『漫画の奥義 作り手からの漫画論』(著 者:手塚治虫、聞き手:石子順、光文社知恵 の森文庫)より
- 注3 梶原一騎原作(作画はつのだじろう、影丸譲也)の劇画。空手団体・極真会館の創始者で ある大山倍達の伝記的作品。「実話を基にし たノンフィクション作品」をキャッチコピー として、「週刊少年マガジン」で大ブレイク。テレビアニメや実写映画(主演は千葉真 一)にもなった。「実話をもとにした~」とあるが、後年の関係者の証言から総合すると、かなり梶原による創作が多い模様。
- 注4 原作:梶原一騎、作画:原田久仁信の、「週刊少年サンデー」に連載された実録プロレス マンガ。オムニバス形式でプロレスラーの逸 話を紹介していく。「実話にもとづく」としているが、『空手バカ一代』と同様、やはり梶原による創作部分が多い。
- 注5 19世紀アメリカ、誘拐されて農園に売られ 12年間も奴隷として過ごした自由黒人ソロ モン・ノーサップの自伝に基づく映画。監督 はスティーブ・マックイーン。アカデミー 賞、ゴールデングローブ賞での作品賞をはじ め、さまざまな賞を受賞した。