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『昭和元禄落語心中』第6巻(雲田はるこ)ロングレビュー!マンガで描かれる落語の了見

2014/10/01


真打に昇進し助六の名跡を継ぐが、「自分の落語」を求めて迷走する。演目は「錦の袈裟」。

真打に昇進し助六の名跡を継ぐが、「自分の落語」を求めて迷走する。演目は「錦の袈裟」。

6巻では八雲師匠が助六(与太郎)に「居残り左平次」の稽古をつける場面があるが、ここで注目したいのが八雲師匠の顔や視線の向きだ。
落語には「上下(かみしも)を切る」という所作がある。「上下」とは、舞台における上手(客席から向かって右)と下手(同左)と同義である。落語には侍、ご隠居、大旦那、職人、丁稚、花魁など、様々な身分の人物が登場し、身分が高い者は上手から下手に向かって話し、身分が低い者は下手から上手に向かって話す。顔や視線、姿勢の向きによって人物を演じ分ける所作を「上下を切る」と言うのだ。
マンガは右開きなので、物語は左に向かって進行していく。だから、登場人物の顔や体の向きには、どうしても制約が生じる。本作『昭和元禄落語心中』は、その制約の中、読者の視線移動を邪魔することなく「上下を切る」所作をマンガに落とし込んでいるのだ。このように困難なタスクを同時にクリアするほどの画面構成力があるからこそ、われわれ読者は「落語を見た気になれる」のである。

八雲師匠が助六(与太郎)に「居残り左平次」の稽古をつけるシーン。丁寧に上下を切りながら、落語のテンポとリズムをマンガのコマ割で表現している。これぞマンガにおける落語表現

八雲師匠が助六(与太郎)に「居残り左平次」の稽古をつけるシーン。丁寧に上下を切りながら、落語のテンポとリズムをマンガのコマ割で表現している。これぞマンガにおける落語表現

さて演目「居残り左平次」の「居残り」とは、廓で料金が支払えず、店に残されることを意味する。江戸っ子の了見からすると、本来なら野暮で恥ずかしい行為だ。しかし左平次は、敢えて居残りを買って出ることを生業とする。とはいえ、タダで飲み食いがしたいだけの意地汚い野暮天ではない。颯爽と、粋に居残る。居残ることに命をかけているのだ。そのキャラクター性は広く愛され、映画監督の川島雄三は傑作『幕末太陽傳』で左平次を主人公(主演:フランキー堺)にしているほどである。
なぜ左平次は居残りなんかをするのか。そこにどのような美学(=粋)があるのか。八雲師匠が「アレは手前の我が出やすい」と言うように、演者の個性が出やすい噺である。真打に昇進して「自分の落語」を模索し始めた助六は、どのような左平次を語るのか。ひいては、どのような落語家になるのか。この6巻全編を通じ、われわれは助六の成長の萌芽を認めることができるだろう。

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『昭和元禄落語心中』著者の雲田はるこ先生から、コメントをいただきました!

著者:雲田はるこ

ご投票頂いた皆様、本当にありがとうございます。

レビュー下さった記者様、ありがとうございます。

先日、落語家さんやマンガ研究者さん、編集さんなどそうそうたる皆様に、この6巻の表紙はすてきだねとお褒めの言葉をいただいてしまいました。胸に響いて、描いて良かったと心底思いました。

今後も楽しんでいただけるよう、続きもがんばります。ヨタちゃんたちの行く末見守ってやってください。



<文・加山竜司>
『このマンガがすごい!』本誌や当サイトでのマンガ家インタビュー(オトコ編)を担当しています。
Twitter:@1976Kayama

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