『じょしらく』久米田康治(作)ヤス(画)
『じょしらく』第1巻
久米田康治(作)ヤス(画) 講談社 \680+税
【STORY】
作品の冒頭に「この漫画は女の子のかわいさをお楽しみいただくため邪魔にならない程度のさし障りのない会話をお楽しみいただく漫画です」とあるように、落語家の5人の女の子5人が楽屋で会話を繰り広げる。独特のユーモアと、原作・久米田康治(代表作に『かってに改蔵』『さよなら絶望先生』など)ならではの風刺や毒っ気がスパイスとなっている。
――『じょしらく』(作:久米田康治/画:ヤス)は、過去にテレビアニメ化されただけでなく、乃木坂46出演で舞台化されることも発表されました。各話のサブタイトルは落語の演目にかけていますが、内容はあまり落語とは関係なく、5人の女性落語家が楽屋で話をしているものです。「日常系」と呼ばれる萌えマンガのテイストに近い。
志ら乃 実際に高座で落語家が「おあとがよろしいようで」[注1]って言っているところ、見たことある?
――いや、ないです。
志ら乃 そう、滅多に言わないんだよね。だけど、世間の人はそう思っているの。「世間の落語に対するイメージ」がフォーマット化しているんだと思う。着物を着て、扇子を持って、なにかうまいことを言って……っていう。そのフォーマットに対する信頼感があるから、使いやすいんじゃないかな。
――というと?
志ら乃 私はこの作品、「落語の擬人化もの」として読みました。
――えっ、擬人もなにも、落語家は人ですよね?
志ら乃 いや、落語家じゃなくて、落語の擬人化。たとえば鉄道や艦船を萌えっぽい女の子に擬人化して、放課後の部室でおしゃべりさせるのと同じノリで、「(世間一般がイメージする)落語の世界観」を擬人化してるんじゃないか、と。
――鋭い読みですね。実際に楽屋では、落語家同士はどんな話をするんですか?
志ら乃 その日、楽屋にいるなかで誰がいちばん香盤(落語家の序列のようなもの)が上か、によって話題は変わるからなぁ。わかりやすく言えば「先輩の好きな話題」かな?
――ちなみに女性落語家といえば、志ら乃さんは「女子落語」[注2]という、女性アイドルに落語を演らせるイベントをやってますよね。
志ら乃 これまで℃-ute、モー娘。の9期と10期、Berryz工房、アップアップガールズ(仮)に稽古をつけて落語をやってもらいました。
――みなさん上手でしたよね。
志ら乃 やっぱりアイドルの方たちは人前に出るのに慣れているし、度胸があります。それに芸事を学ぶときに貪欲さがある。
――今後もこのイベントは?
志ら乃 期待して待っててください。
『どうらく息子』尾瀬あきら
『どうらく息子』第11巻
尾瀬あきら 小学館 \600+税
【STORY】
主人公・関谷翔太は保育園の先生。ふとしたきっかけで寄席で出会った惜春亭銅楽という落語家に魅了され、銅楽に入門を志願する。厳しい修行を通じ、翔太(銅ら壱、銅ら治)は落語家として少しずつ成長していく。翔太 の目を通じて、一般社会とは異なる落語界の様子を垣間見ることができる。
――尾瀬あきら『どうらく息子』は、保育園の先生だった主人公が、落語界に入門する物語です。
志ら乃 この作品には「落語家あるある」がふんだんに盛り込まれているんですよ。
――たとえば?
志ら乃 冒頭で高座返し[注3]に出てきた前座[注4]さんが、高座の上で転ぶシーンがあるんだけど。現代人はズボンに慣れているから、着物を着たときの歩幅がわからないんです。だから着物を着慣れていない前座はよくつまづくんです。
――なるほど。
志ら乃 あと、この前座の銅ら美さんが、「兄はドラえもんという有名人です」というマクラ[注5]をいろいろな場所で使い回しているじゃない?
――第1集だけ見ても、「第二噺」と「第八噺」でやってますね。
志ら乃 同じマクラを使い回すってところが、すごくリアル。落語家っぽい。
――知らない世界を教えてくれるという点では、職業マンガのテイストがあるのかもしれないですね。
志ら乃 そうだね、客観的に教えてくれる部分がある。『昭和元禄落語心中』が主観的で女性向けだと感じたのとは対照的に、こちらは客観的で青年マンガ的だと感じました。
――このマンガでは入門や師弟関係など、落語界はかなり厳しい世界として描かれてます。実際はどうなんですか?
志ら乃 私の所属する立川流は定席の寄席[注6]に入らないから、そのへんの事情はわからないけど、どこも似たような感じだと思いますよ。ただ、うーん……そんなに厳しいかなぁ?
――一般社会から比べると、礼儀などが厳しいように感じます。
志ら乃 でもね、こういうのが好きな人が入ってくる世界だと思うんだけど。
――こういうのが好き?
志ら乃 たとえば深夜に道路で突っ立っているアルバイトのほうが、私は苦痛に感じるわけ。
――あ、それはわかります。
志ら乃 でしょう? だからこの作品で描かれているような世界を厳しいと感じる人は、落語家には向かないんじゃないのかなぁ。それはどの仕事にも言えることなんじゃない?
――なるほど、その説明はわかりやすいです。
志ら乃 第1集の「第二噺」で、保育園になかなか迎えの来ない子供が「じゅげむくんてしあわせだね」って話すシーンがあったでしょう。その理由を読んでいくと、「そういう考え方があったのか!」って驚いたの。私にはない視点だったから。
――ほかに印象的だった点は?
志ら乃 「第一噺」で主人公が初めて寄席に行ったときに、「そんなに大したこと言ってないのに……」「なぜおかしいんだ」って言うところ。私も落語ってそういうものだと思ってます。だから作者に対する信頼感が、ぐっと湧いてきた。
――なるほど、プロならではの視点ですね。
プロの落語家さんから見た「落語マンガ」について、いかがだったでしょうか?
志ら乃師匠の真打ち昇進までのエピソード、そして師匠・立川志らく師と兄弟子・立川談笑師との対談を収録した、『談志亡き後の真打ち』、宝島社から絶賛発売中です!
- おあとがよろしいようで 本来の意味は「次の演者の準備が整ったようなので(私は終わります)」という意味。落語を題材にしたパロディでは、よく落語家が演目の最後にこの台詞を言って頭を下げて高座を下りるが、実際の寄席や落語会ではあまり聞く機会がない。しかし、世間的には「落語家がよく言う」と思われている代名詞的なフレーズであり、『じょしらく』の作中では多用される。志ら乃師匠はそのことを、「(著者は)実際にはあまり使われないことを知っていながら、『世間の落語に対するイメージ』を利用するために、あえて作中で使っているのではないか」と指摘している。
- 女子落語 BS-TBS主催の落語会。志ら乃師匠が事前にアイドルに落語を稽古し、それをひとりもしくは志ら乃師匠とのリレー落語で披露する。また、志ら乃師匠がやって見せた小噺を、その場で他のメンバーにアドリブを交えながら即興で再現させる。アイドルが着物や浴衣で登場するので、ファンからも好評。
- 高座返し 前座の仕事のひとつ。前の演者が終わったあと、次の演者が高座に上がる前に、座布団をひっくり返す(羽織や湯飲みも片付ける)。また、めくり(演者の名前が書かれている紙の札)をかえすまでの一連の仕事までを総称して「高座返し」と呼ぶ。
- 前座 落語家の身分のひとつ。入門が許されてからしばらくは「見習い」として師匠や兄弟子に付き従う。「見習い」は正規の身分ではなくいわば研修期間であり、「見習い」を経て師匠から高座名をもらうと、「前座」として“勉強のために”高座に上がって落語を演ることが許されるようになる。前座期間を一定期間(一般的には3~5年)勤めると、師匠から「二ッ目」への昇進が許される。「二ッ目」になると、紋付きの羽織を着たり、自分で落語会を開催したり、テレビやラジオといった外部仕事も可能になる。最近では、SNS(ブログやツイッター)の利用をどの段階から許すのか、一門ごとに異なっているので、その点に注目してみるのもおもしろい。そして「二ッ目」をおよそ10年ほど経つと、師匠から「真打ち」への昇進が許される。「真打ち」になると、弟子を取ることができ、寄席の世界では主任(トリ)を任されるようになる。落語家を「師匠」と呼ぶのは「真打ち」になってから。ただし、上方(関西)の落語界には真打ち制度がない。
- マクラ 落語の導入部の小噺。スムーズに噺の本筋へと入っていくための導入部であるため、マクラと噺はセットになっているケースが多い。また、そういった導入部としてのマクラだけでなく、開場の雰囲気を暖める意味で、世間話や身の回りで起きた出来事を話す場合も多い。2014年に重要無形文化財保持者(いわゆる人間国宝)に指定された10代目柳家小三治は、マクラを長く振ることでも有名で、『ま・く・ら』(講談社文庫)などマクラだけの速記本も出版している。
- 定席の寄席 年末年始を除き、ほぼ年中無休で毎日興行を行っている寄席。都内では鈴本演芸場(上野)、末廣亭(新宿)、浅草演芸ホール、池袋演芸場の4軒を「定席」と呼ぶ。 定席での寄席は、一般社団法人落語協会と社団法人落語芸術協会が交互に公演を行う。そのため立川流や円楽一門会は定席には出演しない。