「真っ白なキャンパスに筆をのせた瞬間に自分の中で小さな不安が生まれる」と東村先生はスランプに陥った自分の気持ちを述懐する。
「筆をすべらせるごとにその不安はどんどんどんどん大きくなって」「この色でいいの? この線はこの位置でいいの?」「すると手が止まる」──絵を描くという局面でなくとも、誰もが知っているこの感覚。この世界にはペーパーテストのように唯一絶対の答えがあるもののほうがむしろ少ない。
しかしそれでも日高先生は言うのだ。「描け」と。「そのまんま描け」「見たまんま描け」と。それ以上の具体的な指導はなく、東村先生の顔をキャンパスに押しつけて、なおも「描け」と言う。
しかしその「描け」という言葉こそが、のちのちまで東村先生を救うことになる。
「根性論とか体育会系のそういうのってもう古いかな」なんて自嘲気味にひとりごちてみたりもするが、生きるうえでは理屈を超えた「野蛮なエネルギー」が必要とされる場面は確実にある。
問題の本質は根性論そのものではなく、根性論が使われる文脈だ。
東村先生が学んだ根性論は、たとえば絵やマンガといった対象に対して誠実にあるための、ひとつの方法であった。
東村先生は、聖人君子になったわけでも、超人的な技術を獲得したわけでもない。
若かったころの愚かしい行動を後悔できるようになっただけだ。そして後悔しないためはどうすればいいのかを学んだ。
それはひたすら描くことだ。不安でも、迷っても、ぼろくそに言われても、ただただ描き続ける。その姿勢は月産100ページ以上とも言われる猛烈な仕事ぶりに自然とつながる。
ぽっと人気が出て、翌年にはランク外へと消え去ってしまう作品も多いなか、『かくかくしかじか』は本誌『このマンガがすごい!』で、第1巻が発売された2013年版から3年連続してベスト10入りを果たしている。
それは本作が広く、強く支持されていることの証左にほかならず、感動的な結末を迎えた第5巻もまた、おそらくランクインすることだろう。時に笑わせ、時に泣かせながら、大きな後悔を背負ったその背中で、東村先生は読者に語りかける。自分の後悔から逃げるなと。
仕事や勉強に対して少しでも悩んだことのある人になら、心に響くメッセージが本作には必ずある。
万人におすすめしたい希有な作品である。
『かくかくしかじか』著者・東村アキコ先生のご担当者から、コメントをいただきました!
<文・小田真琴>
女子マンガ研究家、マンガレビュアー。男。学生時代に片思いしていた女子と共通の話題がほしかったから……という不純な理由で少女マンガを読み始めるものの、いつの間にやらどっぷりはまって遂には仕事にしてしまった。「SPUR」(集英社)にて「マンガの中の私たち」、「婦人画報」(ハースト婦人画報社)にて「小田真琴の現代コミック考」、Webマガジン「サイゾーウーマン」にて「女子マンガ月報」を連載中。