心と体のズレは思春期の純粋さとあいまって……
肉体的な性別と自覚したそれが食い違う「性同一性障害」。作中でその言葉は使われていないが、『放浪息子』の主人公やヒロインはそれに近い印象だ。
「女の子になりたい男の子」と「男の子になりたい女の子」のボーイミーツガール。小学校から高校生編までの数年に渡るなか、「友だち以上恋人未満」や女装しながら女子への憧れ、声変わりや初潮への戸惑い、第二次性徴期の心と体のズレは、幅広い共感を呼ぶ。
『Jの総て』は自分は女だと思っていた主人公、だが時代は50年代で社会に理解どころか偏見が満ちていた時代。生きがいとしていたマリリン・モンローが亡くなったことで壊れていく。幼い頃に父親に犯された事件などキツめな性描写は多いが、映画的な構成や人間ドラマのはてに救いが訪れる純愛物語が心を打つ。
フィクションで大人気の「ふたなり」
両性具有。半陰陽とも「IS」(インターセックス)とも言われ、女性とも男性とも単純には区別できない「第三の性」だ。マンガやゲームではよく「ふたなり」として扱われるが、数千人にひとりの割合で存在するというのがれっきとした現実だ。
『「性別が、ない! 」人たちとのつきあい方~実はあなたにも当てはまる20の性別パターンガイド~』は、30歳まで女性として暮らしてきた作者による実録エッセイマンガ。
染色体検査でISだとわかってから、外科手術やホルモン治療を経た男性化や、知り合いのISやニューハーフたちなど性別の壁を行ききする人たちの生き方を描いている。どの人もアッケラカンと明るいのは、周囲の理解が大事だと考えを深くする作品だ。
2011年にドラマ化された『IS』はフィクションだが、生まれた時は“フツウ”の男の子だった主人公が「どちらかといえば女」の生き方をしていく。主人公が好奇の目に晒されながら守ろうとするといったお話で、内容はやや重め。
いっぽう、テレビアニメ放映中の『シドニアの騎士』に登場する科戸瀬イザナは、「中性」と呼ばれる。相手によって性別が変化する「遺伝子工学により作られた性」であり、人類の生き残りを賭けた「播種船」(生存可能な星を見つけ、そこに子孫を残すための宇宙船)ならではの存在だ。本作では、男女用とは別に中性用の風呂もあり、社会的に認知された「第三の性」だったりする。
性転換キャラクターは萌える!?
生粋の100%男または女から、反対の性にまるっと変わるTS(トランスセクシュアル)ものは、マンガや創作物だけの産物だ。異性のカラダになった初々しい戸惑いや、ある器官がなくなった! 付いてる! というサプライズを、心の糧にしている人も多い一大ジャンルである。
これは大きく2つに分けられて、ひとつはある程度は性別が行ったりきたりできるもの。『らんま1/2』や『ふたば君チェンジ』が有名だが、『らんま』は水をかぶると○○に変わる人たちのなかのひとりという扱いで、メインのギャグ+お色気のおつまみ的な要素だ。『ふたば君』は、体質のために好きな娘に告白できなかったり、同じ体質の姉に襲われたり……と、「性」に対する踏み込みが深め。
もうひとつは、性が「ずっと変わりっぱなし」のもの。女児の出生率が顕著に下がってしまったため、1年ぶりに会った親友が女の子になっていた『バランスポリシー』は、社会色がちょっと強い。セーラー服であぐらをかく美少女に「子供、俺が産んでやろーか?」と言われてうれし恥ずかし、ではすまない。戦闘機一機分のカネがかかった体は引き返し不能で、でも好きだった女の子を諦めきれない悲しさの余韻は、後を引く。
大ヒットTSマンガ『ボクガール』の主人公・鈴白瑞樹が、「僕のオチンチンがない!」と部屋中を探すハメになったのは、神様・ロキによるイタズラ。扱い軽っ!
本作のすばらしさは、一昼夜でも語りつくせないが、瑞樹を「巨乳にしなかったこと」がダントツ。サラシを巻いてボンと飛び出るなんざ何万回も見た光景であり、元男の子が一晩でそう胸がでっかくなるわけないじゃないですか、質量保存の法則的に。貧乳好きの春がやってきた!
と興奮気味に語る知人がいましたが、(脳内に)心のひだの細かさが本作のキモ。
親友との友情が愛情に変わりつつある戸惑い、好きな女の子と親友が急接近して嫉妬、さてどちらに?
TSものは外面のかわいさと内面の繊細さを描く、漫画家の総合力が試されるトライアスロンだ!
ジェンダーはヒトという種とともにあり、時代につれてその複雑なありようが解き明かされながら、今もなお、変化を続けている。ジェンダーマンガもそうした奥深い歴史の上にあり、進化していくジャンルなのかもしれない。
<文・多根清史>
『オトナアニメ』(洋泉社)スーパーバイザー/フリーライター。著書に『ガンダムがわかれば世界がわかる』(宝島社)『教養としてのゲーム史』(筑摩書房)、共著に『超クソゲー3』『超ファミコン』(ともに太田出版)など。