マンガアプリ「マンガボックス」で連載されていた『境界のないセカイ』、打ち切りと単行本の発売中止。
このニュースが今年3月に大騒ぎになったのは、「中止の原因がLGBTからのクレームを恐れた講談社の意向」のためだと作者のブログで報告された事情が大きい。
しかし、その後にKADOKAWAが4月25日に単行本を発売、6月から「少年エース」での連載再開をスピード決定。さらにはLGBT団体のひとつ、レインボー・アクションも「他の作品と比べて特段の問題があるとは思われません」と立場表明をして、トントン拍子に丸く収まった。めでたしめでたし。
いやいや、そもそもLBGTって何よ?
それは性的マイノリティのことである。女性同性愛者(女性に惹かれる女性)、男性同性愛者(男性が好きな男性)、両性愛者(バイセクシュアル)、そして性同一性障害(トランスジェンダー)の頭文字を取った総称であり、性的に少数派を指す。
もちろん、マンガにとっても「性」は大事なテーマだ。ラブコメ、家族愛、百合にBLに愛憎劇……人と人をつなぐ要でありトラブルの原因であり、種族を過去から未来へ受け継いでいく糸でもある。もっといえば、ギリシャ神話では戦争の原因にもなったりしている。
日常でありながら人の数だけある「性」は、非日常でもある。創作でしか描けないことを追い求めるうちに、現実のLBGTと緊張関係になることもある。はたして、マンガは「性」とどうやって向き合ってきたのだろうか。
同性愛のはじまりは『風と木の詩』!?
いきなり男×男のベッドシーン。少女マンガで初めて少年愛を扱った『風と木の詩』は、現代ボーイズラブが今のカタチとなった原点といえる作品だ。少年同士の肉体関係、近親相姦や薬物を使ったりレイプもあり……。同性愛のみならず、表現すべてが70年代のセンセーショナル。寺山修司が「これからの少女マンガは、風と木の詩以降という言い方で語られることとなるだろう」と言ったように、マンガを狭っ苦しい倫理の枠から解き放ったのだ。
この『風と木の詩』の大ヒットに、マンガの神様が対抗意識を燃やしたと言われる手塚治虫氏の『MW』も、同性愛がキーワードだが、毒ガスを吸って心身ともに壊れた凶悪犯罪者の異常性のひとつに回収されている。
相手の愛をもってしてもブレーキはかからず、結局は「暴走する犯人と止めようとする刑事役」の追いかけっこになっていて、マンガの神様が「流行りの同性愛にチャレンジしてみました」という記念作の感もあり。同年代に始まった『パタリロ!』(2015年で連載37周年!)も、スパイ・バンコラン×美少年・マライヒほか、同性愛タップリ。いや、むしろ「異性愛者がアブノーマルな世界」というファンタジー作品かもしれない。
好対照なのが『純情ロマンチカ』と『弟の夫』。前者はほぼ全キャラクターが同性愛者、しかし今夏にテレビアニメ第3期の放送も決まっており、性別を女性にしても違和感がない「少女マンガ」として、どなたにもすすめられるエンタメ作品だ。
対して後者は、海外で同性婚をしていた弟の“夫”であるカナダ人との奇妙な同居生活が始まるお話。ゲイアートの巨匠が一般誌デビューしたという話題性もあったが、ゴツくてヒゲのおじさんは美形だらけの同性愛マンガに、一石を投じたのだ。
「男の娘」というワードが生まれた2000年代
こんなにかわいい子が女の子のはずがない!
女装した美少年を意味する「男の娘」の言葉ができたのは2000年代半ば。『ストップ!!ひばりくん!』がブームになった80年代初めには影も形もなかった。後述する性同一性障害との違いは、「男という自覚」があって悩みがないことだ。
どう見ても美少女、でも中身は男の子。ヤクザ組長の長男でもある大空ひばりはかわいさと、「ひげを剃る」などのギャップが笑いを呼ぶ予定……だったはずが、完璧美少女のためギャグ顔に崩せず、かわいく描くことへのこだわりが休載を招いてしまったいわく付き。
そして「内面まで女の子」という革命を「月刊コロコロコミック」、しかもホビーマンガで描いた『バーコードファイター』のヒロイン(?)有栖川桜も忘れてはならない。温泉回で男の娘をカミングアウトした驚き、そして主人公のライバル・阿鳥改の「男の桜ちゃんが好きなんや!」というマンガ史に残る名言。作者・小野敏洋氏とは別人らしい、上連雀三平氏の18禁マンガに続編的な話があるので、興味のある方はこちらもどうぞ。
ほか、『げんしけん二代目』の波戸賢二郎は、現在進行形の男の娘である。