渋谷直角は「あとがき」で「見る/見られる/思う/思われる」みたいなテーマがグルグルするマンガを描いてみたかったと語っている。
なるほど、その象徴的存在として奥田民生がタイトルに冠されているのだろう。のんびりしたミュージシャンに見えて、活動はとてもアクティブ。風来坊のイメージはあくまで自己プロデュースのたまものであり、普段は誰も知らない別の顔で生きているのかもしれない。
コーロキの周囲には、ライフスタイル誌のオシャレな編集部員、キュートで天然なアパレル女子以外にも、軽薄なファッションライター、エキセントリックな女性コラムニスト、電波系に変身した昔のバンド仲間と、曲者キャラが続々登場する。
彼らはみな表の顔とは違う裏の顔を使い分けている。
そんななかで、コーロキだけはマジメに仕事と向きあい、周囲の人間にすぐ感化され、胸チラ女子に一目惚れし、凹んだときは民生の曲を聴いて奮い立つ。
そんな愚直なコーロキがドロドロのクライマックスを経て、どんな意識革命を起こすのか? それは読んでみてのお楽しみ。
渋谷直角が自身をメタ視点で揶揄するかのごとき最終話は、大人になるということを改めて考えさせられた。
もしかしたら“力まないカッコイイ大人”なんて、存在しないのかもしれませんね。
ちょっとした仕掛けが施されているので、読了後は『ボサノヴァカバー』を再読することをオススメします。
『奥田民生になりたいボーイ 出会う男すべて狂わせるガール』著者の渋谷直角先生から、コメントをいただきました!
<文・奈良崎コロスケ>
マンガ、映画、バクチの3本立てで糊口をしのぐライター。中野ブロードウェイの真横に在住する中央線サブカル糞中年。話題の映画『ピクセル』の劇場用パンフレットに参加しております。