ストーリーの大筋だけならばおおむね予想できるとおりだ。しかし、本当の醍醐味はその過程にある。
サーラもリアルに太く、ナランバヤルもイケメンには見えないし、少々がめついのに、どんどん魅力的に見えてくる。
特にナランバヤルは口が達者だ。その話術で、A国の水枯れを、B国の荒廃を止めるために国交を開くよう、A国内の重要人物に話を持ちかける。
権謀術数ではなく、サーラや自身を含めた多くの人の幸せのためである。
サーラもおっとりしているが愚鈍ではなく、芯が強くて、かわいらしい性格だ。ついでに見た目どおりの健啖家である。そんな2人が手を取りあう穏やかな人間愛からはじまり、宮廷の陰謀に巻きこまれていく。
といっても、冒頭のようにちょっぴり毒っ気もあって笑える箇所もいっぱいで、堅苦しさはない。
愛人を囲ういじわるな姉姫、その寵愛を受けたお飾りの左大臣、祈祷師の右大臣を盲信する好戦的な王、倒錯趣味のある族長などなど、一面のみ抜き出せば、「悪者」に思えるだろう。
しかし、サーラとナランバヤルの活躍により、人間は単純なレッテルでは語れないと気づかされる。脇役まで一人ひとりがチャーミングに描かれており、完全な悪人はいない。
とりわけ、暗殺部隊(?)に所属し黒装束に白目がちな目だけ、という姿のライララがかわいい。
だれだって戦争ですべてを失うことも、将来の危機を見過ごすこともしたくないのだ。
顔をあわせたこともない相手に、風聞や先入観からつい敵意をつくりあげてしまうのは、A国とB国だけではない。たとえばネットで行き交う激しいバッシングのように。
しかし、顔をあわせて真摯に、またはユーモラスに語りあえば、きっとわかりあえるはず。そんな希望がわいてくる。
少女マンガに求めるものは何も白馬に乗った王子様だけではない。女性らしい優しい気持ちや、争いを避けたいとの願いが報われることも深く望んでいるのだ。また、こんなに素敵な作品が生まれるほど、その土壌も豊かなことも実感できる。
「めでたしめでたし」以上の満足感を保証する。
<文・和智永 妙>
「このマンガがすごい!」本誌やほかWeb記事などを手がけるライター、たまに編集ですが、しばらくは地方創生にかかわる家族に従い、伊豆修善寺での男児育てに時間を割いております。