次々とヒット作を生み出し、数多くの連載を抱える超売れっ子漫画家・東村アキコ先生。女版『まんが道』という自伝エッセイマンガ『かくかくしかじか』は、そんな東村先生が漫画家となるまでにたどった道を描いた作品だ。
恩師・日高先生との出会い、日高絵画教室で過ごした濃密な時間、モラトリアムな美大時代、そして漫画家としてのデビュー……。
波乱万丈の青春時代は、笑いあり共感あり感動あり! インタビュー後編では、今年3月に感動のフィナーレを迎えた『かくしか』についてお話をうかがった。
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ずっと考えないように思い出さないようにしていた、恩師・日高先生のこと
――「このマンガがすごい!2007」でインタビューさせていただいた時はちょうど『ひまわりっ 〜健一レジェンド〜』が始まった頃で。当時は、これが東村先生の自伝的作品だと思っていましたので、『かくかくしかじか』のような作品を描かれるとは意外でした。『かくかくしかじか』は完全なるノンフィクションですよね。
東村 そうですね、エピソードを大げさに盛ることはいっさいやってなくて。こっそりヒミツを打ち明けるような気持ちです。
――正直、初めて読んだ時は本当に驚きました。『ママはテンパリスト』[注1]みたいなタッチでおもしろく描かれるのかなと思っていたので。
東村 私自身、当初はこんなふうに描くことになるとは思っていなかったんです。
作中、絵画教室で私の教え子「佐藤さん」としても出てくる、漫画家のはるな檸檬ちゃん[注2]とハワイに旅行に行って。帰りの飛行機のなかで「今度の連載は、女版『まんが道』[注3]みたいな感じで描こうと思ってて」という話をしたら、彼女が「日高先生のこと、描かないんですか?」って言ったんですよ。それが、すごい衝撃で。
――どういう意味でですか?
東村 その時、先生が亡くなってからもう7年くらいは経っていたと思うんですが、それまでずっと先生のことを考えないように、思い出さないようにして生きてたんです。
それを口に出された瞬間、ハワイでの楽しかった記憶が一気に飛んじゃいましたよ。「いや、それは……」と絶句しちゃって。
――それまで、はるな先生とも日高先生の思い出話をすることはなかったんですか?
東村 お葬式以来、ひとこともなかったですね。タブーみたいな。軽々しく話題に出せるような感じじゃなかったから。檸檬ちゃんとはいっしょに東京暮らしを始めたこともあって、日高先生のことにかぎらずダサかった宮崎時代の自分を見ないように、2人でたくさん楽しいことをしてきたんです。
そんな相手が、ずっと封印していたことをこともあろうにハワイの帰りに切り出すなんて。
「なんてこと言うんじゃ!」って思いましたよ。
――たしかにそれは衝撃的ですよね。
東村 私が黙っていたら、檸檬ちゃんは「描いたほうがいいと思うんですよ。日高先生のことを描けるのは東村さんしかいないし。描いていいんじゃないですかね、もう」って。
私としては、その時はまだ思い出にもなっていないし……でも、描くことで自分のなかで整理がつくなら描くべきなのかもと思い始めたんです。今となっては、はるな檸檬に感謝ですよね。大人だし、避けては通れなかったところなので。
――失礼ながら「東村先生ってこんなシリアスな作品を描けるんだ」と驚かされました。描き出すまでに、考えをまとめる時間はありましたか?
東村 物理的に時間がないということもありますが、もともと描き始める前にいろいろ考えるということをしないほうなので……紙を置いて、描き始めたら自然とこういうふうになってしまったんですね。
モノローグとかも入れる構想はなかったし。ふっと浮かんでくるものをそのまま、その日、その瞬間思い出したエピソードを描いていこうと思いました。なので、時系列もバラバラなんですけど。
――ですが、そうした構成はすごく自然に読めました。感情にそって導かれる感じで。
東村 とにかく自分をむきだしにして、描くたびに自分にグサグサくる感じになってしまいましたね。でも、こういう描きかたになったのは必然だったと思います。
計算して作ったり、演出しようと思えばできるんですけど、ウソを描くと紙のなかの先生に怒られるんじゃないかと。居酒屋の場面ひとつにしても、その時の記憶のとおりに再現しないと、描くことに矛盾がでると思って描いていましたね。
――自分の過去や、先生と向かいあいながら描いてる感じでしょうか。
東村 向かいあうというより、容赦なく記憶が襲ってくる感じですかね。
不思議なもので、描き始めると普段は考えないようにしていたのにどんどん思い出してしまう。これを描くまでは、逃げてたんですよね。要するに私は不義理をしたまま離ればなれになってしまって、ああ、まずかったなぁと思いながら生きてて。
でも、そこをたどりながら描いて初めて気づくことがあったんです。あ、あの時に先生が言ったのはこういうことだったのかな、と。「そうか、先生は私に東京芸大受けてほしかったのかな」とか、描きながらわかったんです。当時はバカだからやっぱりわからなかったんですね。描くことでどんどん真実が見えてくるんです。
――ここまでの強固な結びつきではないにしても、若い頃にお世話になった人に不義理をしてしまうことってだれしもあると思うんです。大なり小なり、自分に重ねあわせて読んでいる読者も多かったのでは。
東村 ジャンルとしては「師弟もの」かな。
師弟という関係はみんなにあるものですよね。学校に行ったり部活をやったりするなかで、浅い深いはあっても「恩師」と呼べる人がだれにもいると思いますし。親子でも恋人でも友だちでもないんですけど、全部の要素が入ってる関係性ってほかにないですよね。そういう結びつきを声高に提案したいというわけでもないんですけど……。
でも、うちの息子がもしそういう一生の恩師に会えたらそれはすごい幸せなことで。その時は気づけないかもしれないけど、自分を導いてくれる人の大切さをみんなに気づいてほしいという気持ちはありますね。
- 注1 『ママはテンパリスト』 東村アキコ先生による育児エッセイマンガ。「月刊コーラス」(集英社)にて2007年8月号から2011年7月号まで連載された。先生の愛息子・ごっちゃん(本名:悟空)の誕生から卒園までをユーモアと苦悩たっぷりに描く。育児マンガとしては異例の50万部という大ヒットを飛ばした。
- 注2 はるな檸檬ちゃん 宮崎県出身の漫画家。代表作の『ZUCCA×ZUCA(ヅッカヅカ)』など、主にコミックエッセイを手がける。東村先生のアシスタントをしていたこともある。大の宝塚ファン。
- 注3 『まんが道』 藤子不二雄Aの自伝的マンガで、漫画家を目指す2人の少年の成長を描いた感動巨編。シリーズは「あすなろ編」「立志編」「青雲編」「春雷編」「愛…しりそめし頃に…」とあり、シリーズ全体の連載は43年もの長きにわたる。手塚治虫など当時活躍していた漫画家が実名で数多く登場するなど、戦後のマンガ界を知る貴重な資料という一面も持つ。1986、87年にNHKでドラマ化されている。